神書(二)神教経大成

やっと完成しました。
今回は、手漉き和紙に書き麻紐を使った和綴にしました。

あめつちをもちて しょせきのため ひつきをもちて
しょうみょうこんたい おおひのもと

今年で吾、神道40年記念(祈念)の為
天(神)に感謝を捧げるために神書を大成しました。

前回の神書(一)は空虚大元のタイトルでした

虚無大元尊神、無形の神の教え

2020年8月21日

神様という事について書きました

それを胸に抱き歩んで私は神書(一)と今回の神書、神教(みのり)経に
長年、支えられてきました。
今の私があるのもこの神書のおかげで、人様に教えを施す位置に末席ながら
来たと思うと、これまでの気づきを天にお返し感謝するつもりで
今回の執筆に至った訳であります。

正理を知った私は精神にぶれる事はありません。神は常におわします。

それは最初の10年はとても苦しかったです・・・
日を重ね、月を重ね、年を刻み

それでも入った道に悔やみ、普通の暮らしがしたい
そう思いながら、壁にぶち当たる度に何ども走り書きした気づき書を
何ども何ども読みかえしながら

無理やりに、そうなんだ、大丈夫なんだと自分に言い聞かせながらの

毎日でした。

やがて10年過ぎ、20年過ぎ、自分の宮柱ができたかのような
精神の(核)がしっかりとハッキリと見えてきたのです。
しかし、まだまだ道は遠く、先が見えません

そんな時、若い頃に聞いた師匠の言葉を思い出したのです。

正神は何も言わん、何も言わん時こそ正神は観ておる、守られておる
これだけは覚えておけ
地獄に行きそうになった時、思い出すじゃろと・・・
また、その時、正神は何であるかわかるじゃろ。

それから30年の日月がたちました
神代文字に携わり200年前の神霊が残した書物に目を通したのです

私に何かが吹っ切れた余裕ができたんでしょうね・・・
ただ、がむしゃらに思うように生きてきました
何も分からないから進むしかないんです。

余裕ができたのか、その書物に目を通してると、「んっ? これ?」
私が頭の中に記憶している気づきと全く同じで

神や神道は「こうじゃないかな・・・」と思っていたことが
はっきりと、全くの同じ文面で古びた和紙に記録されている

しばらく不思議な繋がりと恵みに言葉にあらわせない感謝の気持ちが
込みあがってきます。

神書を書こうと思ったのはこれがキッカケです。

いつか、誰かの為に何百年、何千年かかってもいい誰かの為に
この神書をお求めになられた方の後の時代に必ず役に立つ
それは我が子かもしれないし、孫、ひ孫、子孫かもしれない
他人かもしれないけど、必ず役に立つ

その思いが始まりです。

この教の根底は

万民、一に帰す

また神書は自分で書いて自分で読んでると
笑ってしまうところがあります。

それは、一言で言えばその道には入ってなかった・・・

これも根底の教になります。

いつか本当の古事記になるかもしれません。

お求めになられた神書(一)も今回の大成である神書(二)も
他人には教えてはいけません。

神の道の教は自らの自分(気づき)で悟りご縁を持つものだからです

精神行を施す者の基本です。

天(神)に程遠い人には、早く道筋(道理)に目覚めますようにと
思いを祈ることが最も最高の施しで

これを陰徳と言います。

ですから、私なんかが持っていいのか?何て思わなくていいのです。

心の底から必要、欲しいと思ったら

不思議と手元に来るのです。

それが神書でもあります。

またこの神書は情愛を感じます。