魂から心への偽をとり除く賢者

心の偽をとる。

古来、呻吟という言葉があります。

これは「病気に苦しむうめき声」という意味です。
病気になった時の苦しい、痛みは本人だけが知っており
それを他人には代わることはできない
しかし人は勝手なもので病気が治ると忘れてしまう・・・
これは神頼み願掛けに似ています

「神の心はかわらぬもの、変るのは人こころ」
喉ぼと過ぎれば神を忘れるが神は忘れない

この呻吟が病気を喩えにした魂や心のことであったら?

 

・人は自分が正しいと思ってるから偽をとり除けない

これは言葉や行動に限らず、かのような人がいる
私がスピリチュアルの集まりが苦手なのはこの理由でもある・・・

心から人の為に尽くしていても、感謝を期待する気持ちが少しでも
あれば、それは偽。心から善を行っていており、それを他人に
知って欲しいという気持ちがあれば、それも偽。
昼間の行いが善であっても夢で悪をしていれば偽。

人にみせかけるのも偽であり、誰もがその偽を自分だけが気付いています。

気付きながらも人に笑顔を振りまき、まるで女神のように
振舞う姿が芯からからわかるので嫌いだ。ビジネスとして捉えれば
知らない人に与える情報料と喩えれば何とか取り繕ろえる・・・
しかし、やがてそれらにも勢力や組織になってくると
悪が蔓延していくのが世の常でもある。

・人と人は繋がってるように完全に消すのは無理があります。私が実行したのは
スピリチュアルをやめたこと。カウンセリングでお金をいただかず、モノを
作り、その人の役に立つ事、また求める人にだけ話をする事で偽を少しでも
回避している。ただ相手の幸せを願うのは、お金が発生しようが
しまいが、その辺は皆、同じではないかなと思います。

また思慮あり気遣いできる深みある自分を目指すことで偽も薄くなるかと思います。

・思慮あり気遣いできる深みがある人は、あいまいさや濁した表現を感じさせないよう
 に気をつけ浅い薄い人はどんなに目先があったところで立派だとは言えない。
 そうならない為に人は経験と智慧が必要ではないかとも思います。

また、心ひとたび執着すれば万事、自然なる宇宙を得ず

賢者は道理を恐れる

法律を破り罪を犯しても正しき道は残る、でも道理がはずれる罪ならば

身の置き場がなくなる。これは自分の心が自分を許さないからである。

喩えで「良心の呵責に耐えない」同義語で、お天道様が見ている。

心のやましさは永遠に残る

だから人には懺悔と感謝という時間を神様がくれたに違いない。

人に教えなければいけないこと

人は一人ではない・・・山があれば海もあり川、樹木、花もある

家族もおり友もいる。どこかで知らない他人とも繋がっています。

地を掘っても掘っても土が出てくるように・・・

自己表現の大事さ

古くより、かの言葉があります・・・

かなかなが 鳴く  こころは むらがりおこり やがて すべられて
ひたすらに 幼く 澄む

その鳴き声も聴く人の心も自然・宇宙へとおさめられていく。

「澄む」とは済むであり、「住む」でもある。

それが成就でもあり、その意味では救われるということなのでもある。

花びらは散っても花は散らない

・花びらは散っても、形は滅びても人は死なない。人は肉体的に消えても
その死を悲しみ、弔う者がいる限りその人の花は散らない
その花は逆に悲しみ、弔う者に、温かい生きるエネルギーを与えて
くれる不思議な力があり死者が仏になるということは
そういうことでもあります。

また人は人にだけ表現にだけでなく、すべてに表現を持ってすれば
宇宙は目の前だと思うはずです。

 

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