天の道授書(神からの願い)とは?
みな、神にして私(わたくし)なし
七種(七草)を以て心を磐坂の神籬として
我を奉れ
最後の我とは「自身」の事です。
神を祀る上で、どのような心持ち、神に叶う自分で
ある為に、私は私で或る為に
何か、自分的に神が認める資格(現実世の資格でない)が何かがいる
そのようなものを、持って、神と接したい、きちんとした思いで始めたい
古代は誰もが天を崇め、祀る事ができたのですから、この考え一筋でした。
こんな思いで私の神祀りが始まりました

まぁ当初は、思い思うまま状態で、時には気づき、時には
不思議な感が降りたり、知り合う、その道の先輩との会話の中から
見つけ出したり、教えをいただいたりでの中の集約でもあります。
いつも、ブログに書く、天に神在り、地に神霊在り、人に倫在りなんですが
人は、一般的ですね・・・人智は天には及び難し
「神と一体になりたい」または、成ったと様々に聞き覚えがあります
しかし、それは人智であり、我であり、遠回りの道だと私は理解しています。

私も最初はですね・・・一体になって何らか授かろう、神を知りたい・・でした
それは、途中で気づくんですね
何かの力というか、導きというか
色んな事を最終、一人で学んできました。
8年前、神代文字の神霊と出会い、皆さまがお持ちいただいてます
神書を授かりました。
それとは別に、今回ここで書きます天の道授書の中身が
私が歩んできた道や、「天や神はこの思いで間違いない。きっとそうだと・・・」
思っていた事、先人に教えてもらったり、会話の中から智慧をいただいたり
書いてある中身がすべて一致していました。
自分用として、封印し、密かに満足していました
ある日、つい最近なんですね・・・動画にも、ブログメンバーのお部屋にもあります
天照大神が何か話しかけてると、何かに気づいたんですね
翌日、大御神の木像と出会いました。手にした瞬間
長年の感と言いましょうか 直感です
疑いなく感受した感は神のお告げなんですね・・・経験的に。
「天の道理成るからにして、皆へ授く」でした
授けじゃないですね・・・「け」だと私がする事になります。「く」なんですね
神様が直接、授です。

それで、書く事にしたのです。
神の道を誤らないよう、神書(一~三)の究極の答えでもあります
もちろん、神書だけでも御教なので十分なんですが
天に神在り、地に神霊在り、人に倫在りを習得する上で大切な事を書いています。
そして、お告げはもう一度、いただきます
知るだけでは、御教えを学び実践するだけでは
ここの表現は非常に難しいのですが、「もったいない」と言われる感覚でした。
中身を書く訳にはいきませんが
「神として神に在りて天に叶えよ、天の願い受けよ、神の願い叶えよ」
書き上げた書物で「私=天」が完成しました。
神代文字で書き、フリガナを入れてますが、私だけであれば、感覚的に理解しますので
それで充分なのですが、意味を書いています

もし、理解に時間がかかれば、もったいない。神書(一~三)が益々、気づきの理解が
天よりもたらされます。
神書をお持ちでない方も「天の道」だけでも神書の中身の気づきが持たされます。
最初から、これを出せばと自分でも不可解な気持ちになりましたが
世の流れなんですね・・・
目覚めてる人が多いか、天は人を望まれているか、どちらかです。
曲邪の末法が充満してるのも、あると思います
目次として、このような事を書いています

1,神を祀る意味
2,祀る者が知る天と地の区別
3,精神(心)の育て方
4,すべての事に於いて心の在り方
5.天と人の繋がり
6,神が求める正しい心
7,神が人に託した五つの心
8,神が教える物事を成し得る方法
9,天と人の定め
10,神が人に与えた五つの恩恵
11,神が人に定めた五つの努め
12,天が人に授けた道は一つのみ
13,偉大なる天と人の道理
※何よりも神代文字が心を癒し気づきを起こします
読む、目から力を受取ります。気力が弱った時とか
体の調子が悪い時とか、目を通すだけで、また、この書物で
不調な部分をこすると元の気に戻っていくと思います。
これ、全部、神代文字で書いてフリガナつけて意味を書いて
結構、大変でしたけど、天と神の願いと思ったら、また自分が完成すると
思ったらやり遂げる事が出来ました。
書物を読み、理解されると
覚醒という言葉は使いたくありませんが「あなた」も完成します。
一に、天の道授書を授けられ、その教えを受け継ぐ者は賢
(まなびひじり)と読み賢者という
二に、その道を受け歩む(学びながら道を歩む)者を聖(しもつひじり)聖者という
三に、道を受け実践する者を至者(なかつひじり)至者という
四に、道を受け授かりながらも放棄(あきらめる)する者を眞(かむつひじり)眞者という
眞者の世界は、ある存在に取られる
※天の願い、神の願いを受け、我、神の一人子として
誰かに継ぐことができるよう賢者になられてください。
子や子孫でもかまいません。
また、正しい理で人を導くご縁があれば、自身の生徒さんでも
教えを引き継がれてかまいません。
逆に教えを受ける事をさらさら無い者、値しない者への授けは留まってください。
その見極めは授く書で判断されてください。
子や孫へは少しづつ教え(わかりやすく)を諭すように優しく
ゆっくり時間をかけてください
天の授くを受ける上で最初の段階(心)
(祀るとはか畏く、形を整え、神棚とかというのでは、ありません)
七日の清めと三日の美を実行されてください。

・七日の清め:七種の事です(これを禊)と言います。
・三日の美:七種を保ち、三日間、平常で過ごす
とても簡単です。印札に七種(桐箱に書いています)で
受け歩まれてください。
※天と繋がる者
例えば、どこか神社に参拝されたとします・・・
神様は有難く、お近づきになられるはずです
そのような人が来たら、天の授けを受けた者でなく御方として
神様は清められ喜ぶからです。
そして謙虚に礼を通せば、その神様との接点は
短くなります。
これも天の教えです。