自身の心が豊かになり生活にも反映する神書(三)の巻

自身の心が豊かになりその豊かさは自然と生活に反映します
(日嗣神示)

その教えは天照が岩戸からお出ましになれた時に
光が復活しました
また光の意味は律(令)もって明るさ元気を意味しています

神の世界ではそうですが人の世では岩戸の暗い中は悪心と欲を
意味しており、お出ましは打ち勝つ勇気を光として
教えがあります。

打ち勝った勇気の後には晴れ晴れとした心の明るさ元気が芽生えます
この意味を日月の神が申されました

御霊を磨いて下されよ。富士の日本晴れ見てくだされよです

富士は不二で不死です。つまり永遠なる神の御霊となる訳です
もっとわかりやすく言うとキリストが言及した生きもしない死にもしない
魂のお話です。

甘ったるい女神のメッセージやスピリットやヒーリングなどいう
悪魔のささやきに魂を売らぬようにされてください

人は常に天から光を受けています
これを真に理解すれば謎は解けていきますから・・・
ビジネスに身も心も窃取されては心はいつまでたっても晴れません。

身も心も豊かになっていくには、まずは祝詞から説明しないといけません

掛巻母 畏支かけまくも かしこきという詞文面があります

この意味は尊く大いなる存在であり
読んで字の如く、カケテマク
つまり見えない、見ようと思っても、すべてがカケマクなのです。

ちょっと、分かりづらいですね
秘密は「空の下みな神様」というブログタイトルでもあります

祝詞の初頭にも掛巻母 畏支が必ず出てきます

掛巻母 畏支 吾大神とか御前にてとか
神様に対する尊敬の詞でありますが
かけまくもかしこきは「神様だけに」詞を発してるのではありません

この世で神のお示しがされた祝詞は三つしかありません
他の祝詞は「人」側で作られた文面です。つまり都合なんですね

三つを分けると、この世は支配です
天から地へ、人から人へクロス(十字架)の姿。

余談ですが、クロスを後世に教える為に聖人はわざと犠牲になったのです

一つは、よく知られている大祓詞(祝詞)ご存じですね
ショップでも販売しています

大祓詞は大祝詞(神書一)、日継神祝詞(神書三)から凝縮されて作られたもの
大祝詞・日継神祝詞は純粋に神の意(意思)が書かれてあります。
よって大祓詞は人から作られたもので政治的なのでしょう

しかし神(天)の言霊を使用していますから
大祓を毎日、最低1年は奏上し続けると何かが変わります
良い方向にですね・・・

それについてはこちらをご覧ください

幸せの言霊は一体誰に対して発するのか?

2021年2月13日

ただ、根本に気づかないといけません
そこに気づいて始めて「掛巻母 畏支」が理解していきます

掛巻母畏支は遥かに次元を超えた尊い存在です

そもそも、何の為に祝詞を日夜、奏上してるのでしょうか
神はいつでも常におわしてるのに
なんの為でしょうか?

掘り下げていくと、一つの理由に行き着くはずです

・神様の為に
・ただただ、神を敬う為
・感謝の印として
・今の自分を打破したい
・生活が安定するように
・何か不思議な力に芽生えたい

私も上のように思い奮起しながらの時がありました
また、その一つの理由を隠したいが為の理由でもありました

祝詞に関し申し上げるならば
奏上とは神の許しを受けてはじめて発することができます

毎日唱えれば良いというものでもりません
例えば大祓詞(中臣祓)では神の御教を知る為に存在します
決して我が身の最後の一つに行き着く欲の為にあるものではありません
中身を知り日月を実践する為に伝わった古文なのです。

しかし古文文字(神代文字=漢文)から自動で意識に力が促されますから
意味も分からなくても、たとえ己の何らかの欲があっても
神の大御稜威は賜ります

神の為に唱えるものではありません
我が身に神の御教えを刻む為にあるのですから
日々、唱えるならば私が書く家内安全祝詞が理に叶っています

しかし、それさえも日々の御教を深く刻みながら実践しないといけません

古来より何か御祓い、人側の観念で行われています
それでも神は雨の雫のように魂に刻まれていくのを
望んでおられますから神事がある訳です

神社で祝詞を奏上すると確かに神様は喜ばれます

それは自身の意識が関知できない領域で刻まれていく
姿に神は喜んでいるのです
神自ら為とは思ってはいらっしゃらないのです

奏上というものをまず、理解されてください
もし、自分が神として高御座におわして臣下から毎日毎日
奏上されたらどう思いますか

なんで自分の意図がわからぬのか?
になるかと思います
しつこいようですが、神と共にの真心がいるのです

その真心を人に尽くさないといけません
しかし、その心が独り立ち過ぎるとそれは欲に変わります

人の心は秤の如しです。様々な思いが存在し誰もが正しいのです
物欲・権力・名誉欲の均等が崩れると三本足の鼎は立ちません
超える事ないようバランスも大切です
これを三本足のカラスと表現されました

正しさを安定させる為に神は令を施しました

その真心を持てば同体ですから日本七十二候もしくは四季の前後で
ご挨拶として奏上するのが良いですね

ちょっとしたものでもいい、高御座を作って
まずは日々、唱えると家門は良い方向、トラブルない
家に変わっていきます。

祝詞の説明が多くなってしまいましたが
神書(三)は神の考え(意思)が書かれてあります
人の世として、人としての日々を神が望んでいる内容で「令」でもあります

わからぬのか? ならばこうであるというものが大祓で
神書(三)はその根本、神の胸の内を令として書かれてあります

中身を知った私は、まだまだ俗世の思いもありますが
祝詞は滅多に唱えません
スピリチュアル遊びの為の神社拝しもいきません
家の神棚だけ見ていますから、いつでもどこでも同体です

日本人は元々、この姿なのです。
でもこれは今だから言える訳なんですね

だから人生、雫の如く神と共に過ごす事が大切です

その神とは一体何なのか?
神書(二)でも十分に理解できますが神書(三)は令で諭しています

神の詞、書を読むだけでも光徳が生まれます
人智である観念におぼれては遠回りになります
これも身に染みて今だから言えるのであります

日夜、特に今はコロナで様々に心が揺れるでしょう
生活もあるし、現状でやっていけるのか
精神も時々、落ち込むし、私は大丈夫? あると思います

神はすべてをご存じです
自身が何に困って心が痛んでるのか、そうなる前から知っています
いやーそうは言ってもという守りにいく思いの人が大半です
そういう自身の心も知っています

大丈夫です。

神の令を知ろう、共に歩もうと思った瞬間
門は瞬時に開かれます

教えておきます

よく神と共に歩んでいくという方もいますが
それは人智での観念です

神は厳しいのです、その思いは考慮されますが
令に習っていくのが本道です

「春は文であり秋は武である、武の慈愛があるから文がまたある」
これ、神様の詞です。

私が一番好きな教えです。すべてに感謝したくなります
人智である己の欲側の感謝の域を遥かに超える
瞬時に理解する教えです。

実際は詳しく書かれてあります
文・武の意味は現代の神道では学べません

自身に心がある以上、神にもあるのですね

スピリチュアルという軽い言葉は使いたくありませんが
表現上、極める度に少しづつスピリチュアルは捨てていく事になります
これについてお釈迦様が言及されています

「衣服を脱ぎ捨てよ」という喩

最初はバラモンから何人者の指導者につきながら
やがては我が身一人の教え、経験、知恵で仏陀となりました

これから神などいるか!の時代になっていくと思います
ほんの一時、休みが来年、春過ぎには訪れるかもしれませんが・・・

一つの理由を隠したいが為の理由にはまた理由があります
面倒しぃですね

自分の進化を邪魔してる根本は何か? 疑問を持った訳です

それはすべてが「空の下みな神様」だからです

神書(一)は限定でした。挑戦する人に神とは?始まりを説いたものです

虚無大元尊神、無形の神の教え

2020年8月21日
神書(二)は継続中です。神を敬うにあたり精神の心がけ、また実践です

神書(二)神教経大成

2021年3月23日

神様は常におわして、常におわしません

掛巻母 畏支の意味が理解できます
これは師匠や人から言葉で教え諭され理解できるものではありません

神書(一)や(二)を何度も何度も読んで、どういう意味で書かれてあるのか
何を示してあるのか疑問をなぎかけて日々、精神を高めていけばいずれ
分かります。

どうして、それが言えるのか?
神はいつでも用意されてあるからです。 それを掴めばいいのです

神は申されました

「世の中はこうである」「人はこうであれ」
スピリチュアルが言う愛とかメッセージとか夢物語のおとぎ話ではありません

その中身を抜粋し詞を変えたものが大祓詞(祝詞)です

詞を変えた理由は2つです。

日継宮

1つは中身を全部示すと皆々が神になり支配できなくなる
2つは権威、限られた者だけが神を奉り力を得る為

よって神の御心を万民が知ることはできない時代をたどります
今回、完成した神書(三)は御教を賜う前の段階で
この神の思い(御心)を書いています。

考古学では縄文時代は1万5千年間、争いもなく平和が続いたという

天津御神之豊葦原中津国の法

2021年8月18日

それは神の御心(法)を人が守ったからです
厳しい諭も、かなり激しい神の怒りも書いています

その神の御教が現代世でなくなろうとしています
それは日本を示しています
ソトクニ(外国)には関知されていません。
日本が変われば世界が変わるからです

神書(三)を読んで理解すると祝詞や掛巻母畏支の深い意味がわかり
いつでも、どこでも神と交流する事ができます

私がこうやってブログを書いたり、神力があるお守り作れるのも理解できたからです

皆様方におかれては大げさと思うかもしれませんが
私にとってはかなり明白で近年の災害や疫病は神は再三、治す(平定)から
静かにしておれと詔があるのに
人は乱れ、精神も乱れているようです

四つ足、山崩し、海穢し、人を喰い、理を忘れ
豊葦原中津国より神の意思が動きはじめました

神の道を歩めないと神より罰が天下ります
また天孫が道をはずれると下からやられ国は滅びます

日継宮

神書(三)は帝王学はじめの一歩です
神の意(心)を書いています
何度も読めばたくさん理解できますが時間を要します
時間が足りません
また漢文ですので【手漉き和紙にて和綴にしています】
理解できるように現代訳をテキストに書いてセットにします

一人でも多く神の御心を知れば「私」も生きれます
私が生きれば一人でも多く知る人が増えます
子孫に残せるからです
そのお金は人を生かすものとなります。

私というカタチが消えても通じた教えは後世に残ります
御教を手にした人は理解を子や子孫に伝えることができ
また後世に残ります
世界に光がなくなった時、この神書(三)の一点の光が
子孫を導くはずです。

穢れた世の教え(心)を見直す時が今です
神の慈悲で静かにする時間がきているのです

暗示かのように不思議な事にそれが書いてあるんですね
三千年前より日本人が日月と共に過ごした神の教えです

また、中世中頃(奈良)より外海より神の道を乞うために人が来るが
その者は民をたぶらかし怪しげなる道を開く
神は怒り懲らしめます
怒りはのちの世の民まで続き民は心を一つにして大也摩登能国を
立て直せ。

のちの世は「今」の事ですよ
静かにしておれという意味は精神を磨けという事です。
少なくとも三千年前より神は知っている。

そしてこの教えは太子も学んで実践しましたが怪しげが
世では強かったから残念な結果になりました
太子は大也摩登能国に広げようとしたからです

そして言える事は個人の精神でも高くなれば
その分、日本国の精神も高くなる事に貢献できます
多ければ多い程、世界は変わります

天神はすでにおわしています

どこにおわしてるのでしょうか・・・
神棚、神社でしょうか
知ってください
子々孫々に至るまでその大御稜威は続きます
神書(三)もネットや本などでは知る事はできません
口伝だからです
口伝となる元を2百年以上の前の神霊より託されました
現に教えは今の時代の私に続いているのです

神がおわし坐すところをどうぞ見つけてください