神霊とご縁を持つ方法

我が家では、お神さんは無上におわします
それは姿なき、無形でいかに神話上の何々の神様ではありません。

しかし、それが分かったのは長い年月と心寄せ、ひたすら
のおかげの玉物(龍玉)です

龍玉は龍が来てまた去る、宝かただの石ころか・・・
何かをしてくれる守護導いてくれると思えば龍玉となろう・・・
しかし、自分の心は物に委ねてしまうのかとも言える

いやいや、すべては心が思うものと思えば
心に龍玉が存在し神もおわしてくれる

過去の私も神社聖地にお参り、手を合わせ
祝詞を唱えれば力がもらえると、呪文を手印してマントラ唱えれば
何か不思議を体験できると毎日、夜明けから深夜まで私なりの業を
こなしていました。

有名所の聖地まわりもしていました・・・が今はそんな事しません

ある日の夜明け
いつものように・・・でかける準備をしていると
でっ何で行くんだろう?
自分のまわりは何も変わらない、自分も変わらない

いや、祝詞を奏上したり、お参りしたら神様が喜ぶから?
神様とご縁を繋ぎたいからか
もし繫がればと思えば心の根底に様々な利を持っているのがわかる
それを自分が自分に悟られない為に、神様が喜ぶから、好きだから
隠してるんじゃないのか?


(元々、私の家の敷地は神社で本宮は真後ろ山の中腹に天之御中主命が人知れず奉られています
200年前の山嵐で現在の家裏にあらためて水神様が奉られたそうです
神社の物すべて流されたそうです
移住して庭にイヤシロチを作る時、2mほど掘りました時、石にしては光ってる感じがする・・・
そんな話を村役の人から聞いてたもんで、神印かもと思って大事にしてました)

 

そんな事を考えられたら、自身の根底の欲を見極める事が出来たら
今にして言えますが業5分の段階です

その後が長い・・・

行けど行けど登れど登れど5分

結局、祝詞奏上にしてもお参りにしても好きだから行くにしても

ズバリ❣

自身が安堵、安心したい為です。
これは私の学びでは「欲」です
他の人はどう感じてるかそれはわかりません・・が合ってると思います

奏上(上奏)というものは臣下が政治(まつり)する上で、お上(神)に
申し上げる儀であり、聞き入れるから申してみよ。なんですね

まず、この意味を知っていないといけません

それでも、いやいやここで止めたら、ほ~やめたかと神様に思われたくないと
続けておりました・・・


(滅多にみられない五体の龍・・・こんなんに喜んだ若かりしの私)

普段のある日、祝詞を唱えてると心が落ち着きます
頭の中が繊細になって物事の考えが律と倫理を持った思考にに変わっていきます

私が作るおまもりにしてもそうです

福が来るという「お守り」でも、これを持つ人がどのような考えで
行動していけば福が来るかという「物依存」でなくて思考に切り変わって
龍の玉となるようにという思いです。

これを持てば福が「来る」などという思いで作ってません
このラインを超える事はできません

一人、一人、神様は「さだめ」というものを与えられていますから
私がそれを操作する事はできますがしてはいけません。
為ならずというもので

神様は厳しさ7:慈愛2:気まぐれ:1なんですね

ですから、あっすべては「心」なんですね
20才の時に世界にはいりましたから、分かったのは25年後です
私の世界から宗教が消えた瞬間でした
神道さえも

そもそも神道というものは神書で書いてますから省きます

もし40年前に戻れるならば
時空間でいうとですね、ちょっとおもしろいですが過去の私がいたから今に
伝える事ができます

現在は過去に戻れるし未来にも行けます。「今」を理解すればわかります

祝詞にしても神書にしても「自分のスタート」という元が見えてきます

現在は限った所に1年の感謝を申し上げる行事だけおこなっています。

だけどですね、ここに書いた事が理解できたおかげは
毎日、休まず欲でもいい、表面上は神様に奏上するという思いだけでもかまいません
神様は大らかですから人間の小さな事に申されません

(第1段階)
・まず、自分が住んでる地域の神社を全部参ります
・各、1回目はお賽銭は千円以上入れる

(第2段階)
・そのうち、メインが見つかります(見つかればそこだけ)
一宮であったり二宮であったり、大社であったりすると思います
・定めた定期で行く(毎日が無理なら1週間に1度)を21回(21参り)
・二拝二拍手~祝詞~二拝二拍手

(第3段階)
・自宅に神棚(簡単でいい、榊とお酒が置ければいい)
・お酒の器は3つ
・家で朝、夕または夜(夕)に祝詞(二拝二拍手~祝詞~二拝二拍手)
・これを3ケ月(1日もかかしたらいけない)
もしかかしたら再度はカウント1から始めなおし。
・3ケ月後(最終日)が終われば翌日からお酒は1つ

(5段階以上)

神書がすべてを超越し0に戻る

「我が身は宇宙の象奇、神通自在」

何もしなくても御神の法を理解し実践し日月と共に過ごせば、それが神。

1度は不思議な事が起きるでしょう
私の場合は悪魔が来ました・・・かなりビビりました(死ぬかと思った)
龍がズタズタにしました
3つのお酒を供えていたからです
10年後、神様に試されたという事がわかりました

第1段階~3段階まで一気にしましたが、なんか心地よく
結局、1年3ケ月

奥儀が1つ

神様の御前では大変尊敬できる人、親身になって話を聞いてくれる人
つまり「人」と話す感じで
平安調などで言う事はしなくていい
ただ、お話できるありがたさを持っていないといけません

私、40年ですから、こんなんを20回、30回したと思う・・・
かなり、あの世では名が知られてます(笑)

神書をお読みになられてある方は
どこにいても何をしていても神とおわします
それは常々、理解増していかれてると思います。

あとですね
神棚(神を奉る場所)には私物は置いたらいけない
魔が入ります
例えば聖域にブレスレットや石や像やお札やらを置いて榊を置く
これは偶像崇拝になります(私の学びの中)

巨石や大木、水を神とし、神籬を立てたのが始まりですから
神棚は神棚。最低限(許された)の偶像です。
私のお守りはかまいませんが、神は神。願いは願い
分けましょう

神は神です

かけまくも かしこき です。
(神書にはこれが理解できるように私なりに書いてます)

これを知る事が人が生まれた真の理由です。
自身の定めと共同しながら知っていくのが自身が生まれた理由です。

そして知るという言葉はあまり適切ではありません
「思い出す」が正解です。

人はどうしても表(カタチ)だけ見てしまいます
あーなりたい、こうなりたい

それは「心」で瞬時に変えることができます

すると、ただの石は龍玉となります

この石、ん~200万なら譲ってもいいかも(笑)

冗談です

大幅プライス可能です^^

でもお金じゃなく、この人なら譲ってもいいなと思う人があらわれたら

もう、あげる。