同志

私のブログを読んでいただいたり
ショップでお守りをご購入をされた方の中に

神様(神道)というものを勉強してみようと思っている方も
いらっしゃると思います

何かしかの者ではありませんが1つ言っておきたいのは
神道は勉強するという、または学んでみたいというのではなく

平たく言うと興味です
そして「知りたい」という思いです

学校のお勉強でも同じではないでしょうか?

興味から知りたいと変わり、その結果ますます知りたい
なぜなのか? この永遠の続きが学ぶという事だと私自身は思っております
これが本来の学びであり学習という事ではないでしょうか

その学びの根源の力はなんでしょうか

男女がお互いに好きになり、もっとその人を知りたいという事に
変わりありません。神様の事もその不思議さも同じです

自身が、これはこういう事だ。こうすればいいんだと
ある程度、分かってきた時
そこまでの根源の力は何でしょうか?

神仏は手取り足取り手伝いません。本物の神仏はその人の成長を
黙って見届けます
そのラインに値できる位置にくれば神仏の一面が見れる時があります

根源の力はなんでしょうか?

それは「知りたいという自身の思い」が力になる訳です

ブログでは数々の指導者と接触してきました
1つ言える事は一切の質問はしていません

会話の中から、その人のしぐさや顔の表情や無感情(無表情)の
中から学びとってきました
そして行動も観察しました
パターンも観ました

そして絶対に避けなければいけない戒めも自分で設定しました

それは「能力者の大御稜威」はいただかない
一切の他人が書いた神学的な本は読まない
能力者に依存しない

「この3つ」です

この戒めも付き合ってきた能力者の無言の教えでもありました

時代は過ぎ、誰々に依存や教えを
乞う事なく自分で培った努力して知った学びが一番だと
何かしかの者ではありませんがそう思った時

200年前に氏は藤原として人知れず、小さな島で神を奉り
お世話された神官とご縁ができました
その方の日記と私の長い経験や挫折や検証してきた学びと
同じで感銘を受け神からのご褒美の玉物です。

それは「同志」です

神仏に対する思いは共に同じで興味を持ち知るという学びです

知るまでは一切の個人の思いはいだいてはいけません
共に何でも違う事なく師匠と思える人に従わないといけません
任侠のように黒でも師匠が言ったならば白と言わないといけません

「いや、自分はこう思うのです」
「自分は難しい事はわからない」

それは同志ではなく自己の欲と私は思うのです
どちらにしても200年前の神霊(私のその後の師匠)はやっと
気が晴れ神仏の世界にいる事でしょう

現代の私に引き継がれているのですから

自分が知った、理解した時にはじめて同等となり
「私はこう思う」という言葉が発する事ができるのです

また、学びの努力をせず能力者の力、光だけをもらおうとすれば
神の怒りを買います

必ず神前は供えるものを置かなければなりません
それは2つしかありません

すべて能力者(師匠)が言った事を実行(実践)しなければいけません
すべてです。損をしようが得をしようが秤にかけてはいけません

神はアブラハムに言いました・・・

私(神)を信じてるならば息子を殺めろ
アブラハムは一旦、考えたあと
息子をナイフで刺そうとした瞬間

神は「止めろ!」と言ったのです

その瞬間、神と同志となったのです
このお話は譬えで、それだけ厳しいという事を後世に教えるものです。

その厳しい道に入った私は何等か神仏の利害に関する人とは
同志でなければ話も会う事もできません
天の意思です

それは、同志でなければ神仏の話になったり無意識に
後光をいただこうとします

これは相手の魂の欲をほう助行為と天は観ます。

また話だけで実践するか行動できるかわからないのに
聞きたい接触したい無意識の欲にも光は与えれません。

人間の理屈では解明または納得いかない部分ですが
天は自力を重きに観ます。

単なる、その気になってる程度(片手間の人)は何の問題もありません
天の片手間になるだけです

真剣な人には天も真剣になります
だから泣くくらいの厳しいのですね・・・

吾ながらよくやってきたと思います

それがこの道を歩む宿命なのです

ただ、話を聞いて光を与えることができるのは
その能力者がしばらく生きていける位の光徳を与えないと
いけないのです

能力者は現実界より精神界に重きを置いてますから
現実界で一般人みたいに働いたりできません
だからできる人が面倒みるのです

殿様や有力者が神社仏閣を献上する事と同じです

そのお返しに神の威光が聞けるのです

若い時はそんな力量もありませんし、それはできなかったです。今も。
だから、能力者の真似を、その人が言ったことを何から何まで純粋に
真似し従いました

数人の指導者達は「これをしなさい」など決して言いません
いうのは「自分で考えろ」なんです
だから報告する事も思いも言う事はありませんし

簡単に聞いてはいけないのです
それだけの努力や思いをつらぬいてる訳ですから
相談相手や癒しの相手ではないのですから

菩薩は万民に教えを説します
如来は黙って見守ります

能力者は如来を実践してました

 

 

おかげさまで、お守りをご購入された様からは
いつもありがたいレビューいただいてます

小さな神物ですが自分自身の力で歩もうとされる意気込みを感じ
何よりも嬉しく思い

6年前にまったく売れないからやめようと思った時、男女の神様が
あらわれ、良い事をしてるから頑張って続けなさいと励ましのお言葉いただきました

まだまだ、たくさんの人が自力で心が活躍できるように
たくさん求めていただいたら考えてる遊びができる(笑)

違うカタチも取り入れて皆様の心を楽しく明るく貢献したい

でもね~先立つモノはですよ
誰か、あの石を50万で買ってくれたらとここだけの話(笑)
自身の意思を石に追加されてください

石が精神界、現実界のバランス取ってくれます
もし、そのような人がいたらの話ですから

あらわれては消え、消えてはあらわれる
龍玉となるか、ただの石ころか

神霊とご縁を持つ方法

2021年9月6日
それに神様に聞こえると怒られますから・・・
怒ったら怖いですので(笑)

でもね、続けて良かったです。真剣に思います
人生の中で真剣というものはそうこない・・・

ありがたいことです

時々、あの人はどうしてるかな、懸命に頑張ってるだろうななど
思ったりしたら、神前にて祝詞を奏上する時にその人の分まで言っている
自分のその状態が一番の至福です

必要としてる人と同じ気持ちですから自然と丁寧になって
梱包にもそれがあらわれます

ポストに入れる瞬間、必ずお名前を見ます

そして、「大丈夫」だからと心の声を添えてます。

私と繋がってる以上、悪い事が飽きると神仏に文句言ってでも阻止します

そして厳しい時に購入される必要はありません
買える時に、タイミングが合う時に、必要と思った時にでいいんです

たまには買おうと優しいお心も観えます。それは不思議と分かります。

神仏を必要と思う人は次から次にいますから
そして、その人達も私の心に入ってもらい微力ではりますが

求められる世界に向かって欲しい
そんな思いです。

正常に心が動くようにできるだけ健全を心がけています
悪心が感染したらいけないからね。

精神修養は基本、自力で学ぶものです
お釈迦さんも言っています。誰それに乞う事なく「自灯明」で行きなさいと。

しかし、直接の指導やお話は上記の二点ではないと
合う事も話す事も思いを聞く事もできません

同志ではないのですから

同志に繋ぐ為に神書も手がけました
それはいつの時代になるかはわかりませんが
持たれる方の同志も私の同志も同じです

現在、自力で学んできたものの、200年前の神霊から認められ
繫がったのも同然です

こうやって神霊と私は繫がった訳ですから
神書(一~三または二~三)を持たれる方は
私の花押の横にご自身のサインと年月日(手にした日)を
刻んでください同志ですから。

共に徳積歩みましょう
手漉き和紙に墨ですから半永久に書は存在できます
和綴じの糸も丈夫で神様に奉納する麻を使用しています

子孫の為にも

なんか最後は宣伝みたいになりましたが
そうではありません思いです

                      拝