神仏が教える心の健康

まだこの世界に興味を持った若かりし頃・・・

私を可愛がってくれる行者が言った言葉がいまだに残っています

それは

「神仏の心に入るには易いが己の俗を破るは難し」

これをよく考えなさい・・・

分かる訳がない!

先生、どういう意味ですか? 全然、分かりません

お金を積めば、容易く教えてもらえるのですが
そういうお金の余裕はない・・でも知りたい
ルールとはわかっていたのですが、知りたい欲に負けた

それで、ねばってねばって
しゃ~ないのーと言われ、触りだけ教えてやろうと言われ、聞いたのが

心を満たそうと神仏の聖地に入り、社会より精神を重き観る事も
大事だが自分を含めた人々の心の私欲をなくす努力の方が
根本的な神仏の心である

いつまでも聖地でお参りもできんやろ?
明日は仕事に行かないかんやろ
また俗世に戻らにゃいかんしな。

そういう事やな。

聞いた私はまだ・・・・・でした

でも何となく、何となくです、少しだけ当時は理解しました

完全に良い!と思うまで理解できたのは何十年の月日が必要でした

これが完全なる答えなんですね

まずは背伸びしないで無理なく自分に出来るところから実践
心の日々の鍛錬を怠らない事が必要と思ったのです。

それから、色んな気づきが起こり始めます
人は知りたいと思い、自らの努力に努めれば自然と天は教えてくれます

・投げやりな日々は自身の充実感を高めてくれる訳がない

・自分の心と自然を含め社会とは関係がないと見なすことは
「私」と「私ではないもの」と対立する
同じ目線で考えてみよう

ある日、買ったばかりのコロナ2000GT・・・いまは旧車で高い!
P7のタイヤに車高落としてデュアルマフラー(グぉ~っていうやつ)懐かしい!

掃除してたんです・・・外も中も

車もキレイにしなきゃ、人も風呂入るしな、髪も洗うし
手入れが必要だなとか思いながらワックスかけてる時でした

その時、あっ! 心は? に気づきました

それからが早かったです

でも、まだ核にはいきつきません

彼女とデートする時は服や靴を選ぶ、カッコ悪く見せられない
女もキレイに見せようと化粧もする

そう思うのは心です

心も手入れが必要

あんまり頭は良くない方だから何十年という月日でした

当時、私の心が最も安定してる時は神社で祝詞を上げてる時

安定してました
人によって、どこで心が安定するかは様々です

そんな時に直感や気づきが自動で働く
お参りに行ってるから、そこで祝詞をあげてるからと

それを前面に思えば遠回りです。ただの行為です
だから、神仏の聖地に入るのは簡単な訳です。

神社や神棚の御神鏡も自分の心を観る為であり
その心さえも幻と知っていく行為です

お神様のモノだからと思うのは本末転倒となります
古代人は自分の心が鏡でした

だから常に観察でき争いなど2万年なかったのです

自分がその行いをしている状態での心を観る、思いが大事です

日々においても表面ばかりみず、心と向き合い時には掃除したり
豊かさを自ら提供したりしてないと

いつの間にか心は輝きを失い、曇ったり、病気になったり
してしまう

心の美しさを保つ努力しないと、また心がけしないと

「心の浄化には繋がらない」

それが自然や社会の浄化に繋がる訳です

同時、人は他人との関わり合いである社会の中に身を置きます
その中で仕事や家庭上での様々な苦難困難を克服する

努力や工夫で「心が鍛えられる」

そうやって、どんどん心を宝石にしていくところに

気が付くと、何よりも嬉しい気づきとなります。

俗世間を無視して神仏の後光にすがる思いは
イヤな雑事を避けてるということになる

神仏の御心は日常にあるという事は
ここに在る。

だから肉体を滅する時
あー私の人生が神だったのかと御心を観るから涙がでるのですね

そう思います。

それだったら高天原の御座の隅に座れる神にならないとね。

まだまだ、私も修行の身であります。

こんな事が言えるなんて
自分も年とったんだなーとつくづく思います