ちょっと遊んでみました

朝からのんびりしています
楽しみといえば、夕方からのご近所お遍路です

そんな中、おりんで遊んでみました
御仏(みほとけ)にはちゃんと断り言っています・・・

おりんは、宗派や地域で呼び名が違います
また、むやみに鳴らしてはいけません

御仏は音を楽しまれますから本来は経を上げ始めや

経の節目事に鳴らすものです

お水などは、飲まれるものではなく、体を清く洗う為
お供えのご飯やお茶は湯気をお召になります

湯気がなくなれば、ご飯をいただいてもかまいません
これが滅茶、美味しいんです

食べた人は分かると思う

昔は行者見習いでよくやってました

仏前勤行です。勤行は(ごんぎょう)と読みます
昨年から、またおこない
今年から朝夕かかさず行しています

神様もそうですが、御仏を拝む家は栄えます

ちゃんと形を整えてあげねばなりません

ここで勘違いしてはいけません

神様、御仏を拝む心が神仏の力を受け取ります

神仏が存在していて直接に守護するものでなく

拝む、その心が、心そのものが偉大なる力を持っているのです

お守りもそうですが、これで私は救われる、元気になれる、開運するという

先に進もうとする自身の「心そのもの」が導いてくれます

来年は寅ですから明るい兆しはあるかと思いますが

・貪とん(むさぶらない、我、俺だ私だ、欲張り)
・瞋じん(愚かな、貧しい考え、憎しみ、怒り、嫉妬、批判、主義)
・痴ち (愚痴、学ぼうという事を知らない)

意外とみんなこれを持って生きています。わたしもですね・・・

ですから、これを形で教えようと、カタチがないと衆生はわからない
理解できないという事から、様々な式や作法が生まれたのですね

しかし、次は形ばかりに人はこだわります

形を作るのは「心」

ここが究極の神・御仏の教えです

でも、人は五感を持ってる以上、仕方がない
だから、あきらめなさい
そして、その分、善を考えなさいと釈迦は申したのです

2010年あたりから心を学ぶ時代からピークは終え
来年からは、「心を取り戻す」時代に入っていくと私は思います

だから、我ばかり、愚かな考え、学び(心)がないのを戒め

さらに、進んでいきたいものです

ありがとうとか、いつもお世話とか、それもご真言なのです

他人だろうが家族だろうが人は皆、神・御仏様なのですから

それを思い出していく年にしたいですね

一緒に来年も進んでいきましょう

そんな事を考えながら、ちょっと仏様遊ぼうと言ってしたのが下記の動画です

少々、腕がおちたみたい
昔はもっと上手だったんだけどなー・・・

お楽しみください

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です