権威(教え)

我々の世界はね、衆生を前にするあたり

絶対的権威はついてくるもので

それは、とても重要な事なんだ

たまにね、下界を観ると、人を導く人いるよね

先生と言われる人が・・・

コミニケーション、楽しさ、次のビジネスへの展開でね

例えば、お釈迦様ね

そりゃーお釈迦様には、たくさん信者さんがいたよ

でもコミニケーションや、楽しさ、次のビジネスへの展開などでなく

お釈迦様の尊い教えを受けようと集まった人々なんだよ

わかる?

この縦の線は絶対に崩してはいけないんだよ

お茶やケーキが出るような、決して同等ではないんだよ

先生は先生なんだよ。

先生も教えを受ける者も同等であれば

必ず分裂し、やがて争いの種になる

だから、お釈迦様は教えで教えたんだよね

特に今はね、寅がウロウロしてるから

形あるもの、それも特殊な、まぁ手に入れる事が難しいものは

人は好み、手に入れようとするさ

でも、そこには「心」が定まってない人や

心についていけない人が、形に惑わされる

この言い方は適切じゃないけど、そういうとこなんだ・・・

 

わかる?

 

特にね心がついていけない人は、その特殊な形に魅了されるんだけど

今はね・・・

 

でも、それは時間ね

年明けると、あれっ?

おかしいな・・・信者がこないぞ、減ったぞ

まぁ下界で言うと、売り上げだね

 

そりゃそうさ・・・先生は先生の役目してないんだもの

理が分かってないからさ・・・決して先生を超える事はできないんだもの。

 

そりゃ、信者さん困るよね

先生が同等だから、迷うさ

 

先生足る者、徒党を組んではいけないんだよ

たとえ、プライベートでもね

 

じゃ心がついていけない、病んだ信者どうしたらいいの?

って話になるよね

 

元々、心がぶれてない先生しかいないんだなぁ・・・

そういう人はね、集まりでも

そんな(神秘的)、話がない現実的世界の集まりは行っても

決して、目に見えない世界の集まりはしないだな

そういう人は本物なんだよね

 

でもね、ただ、好きで信者さんと集まるという単純な思いで

そういう教えを交えた先生はいるよね

でも、人は色んな考えを根に持ってるから

10人いたら、真剣に学ぼうとする人は1人か2人なんじゃない

それが真実だから

お釈迦さんは自力で学べと言った理由の一つでもあるんだよ

年明けるとね、まぁ今年の盆過ぎから、じわじわと

そういう「気」が廻ってくるから

今年と正反対さ

癸(雨・しずく)なかなか水が溜らない、形になるのは遅い

そういう空間で時間は「卯」あっちこっちピョンピョンはねるだけで

結果が遅い

隠れた干は「乙」だからさ、草木なんだよね

風が吹かないと時間の感覚がない

つまり手を取って導く人がいないと、変化が起きない

来年、干支が廻って来ると同時に

いくら特殊な形でも

そこの理を重々、理解してないと、おかしいな・・・

信者さん集まらないなと嘆きというか、不安になる

先生が不安かかえたら、人を導けないじゃん

だから先生と生徒という関係は上下を保たないといけない

そして心を教えないと信者さん迷うね

そう教わったね

教えとくね

 

心は心でしか、解決できないんだよ

心一つで、先生してる人

強いよ。

信じてるからさ

がんばれよ。

こういう、言い方は良くないかもしれないけど

私にはつくる物も書く事も描く事もできない

でも神を信じ愛する事だけを思う

最後には心が勝つんだよ。

この世には「心」しかないんだよ

それが、この世で最強の武器なんだ

俺なんか、ここだけの話

菩薩、菩薩てお釈迦さま、うるさいんだよ

おかげで、この理がわかったのさ。

 

 

 

 

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