祝詞之事を(知る)と魂は満たされてきます

早いですねー・・・今年もあと半年です

今年は壬という大海(外国)ですから波は大きく揺れ

民も大きく心変わりや、何かと人や物事に影響を受けます

先日も書きましたが、午月である6月の夏至を境に寅が動きます

活動、元気、形の象意なんですが

何かやったるわい!

という気持ちも強くなる。そして形となる訳なんですが

イメージしていたと違う、十分に進んでるいるけど、うまくいってない

という、猜疑心もいっぱいな、ある意味、何でもありな後半かなと思います

それは、揺らされるから・・・歪んだ形で表面にでる

ですから、基本という大黒柱を心に立てていれば、柔軟に回避もでき

思考も切り替えが出来ると思います。 波ですから・・・・

しかし、盆を過ぎれば新しい世界に突入していきます

天皇の新嘗祭が終わり、寒くなって来た頃から車輪は本格的に動き始めます

新しい世界は、結果がなかなか出ない、決まらない、伸展がない

静かな少し寂しい中に入ります

これも先日、書いた通り、動き回るだけで、まぁ蹴散らかして終わり成果がです

一体、あの考えや行動はなんだったんだと振り返る、一旦、小休憩なる世界

来年の事です。

そして民は本物に戻っていく・・・

神様、ごめんなさい・・・悪ぅございましたと

さぁ、神は受け入れるか?

それには、これから書きます「祝詞とは?」に気づかなければなりません

いちお、神社庁では

祭典に奉仕する神職が神様に奏上する言葉であり
その内容は神饌・幣帛へいはくを供えて
御神徳に対する称辞た「たえごとを奏し」、新たな恩頼みたまのふゆを
祈願するというのが一般的な形で、また吾国は、「言霊ことだまの幸さきわう国」とも称されるように
言葉には霊力が宿り、口に出されて述べることにより、この霊力が発揮されると考えられています。
例えば忌み嫌われる言葉を話すと良くないことが起こり、逆に祝福の言葉で状況が
好転するというもので、婚儀など祝儀の際に忌み言葉を使わぬよう注意を払うのも
こうした考えによることなのです。

これが一般的ですね  黒字部分は大切ですが・・・

気づかなければいけない部分が「たえごとを奏し」の部分です

その部分が自身の宮柱になり祝詞の意味が完結します。

そして祝詞(言葉)を発する事を「上奏、奏上」といいます

ちょっと、今、自身の心を肺の中心(食道)、胸の中央ですね

意識を軽く集中してください・・・

今、この記事を読んでるのは「頭」です、感じてるのは「心」です

頭は「道具」ですから優先を心に持っていく

用意できましね・・・

では、書いていきます

上奏とは、臣下が神に裁可を必要する詞を指します

または報告です。

奏上とは、神の補佐(特別な人)神に申し上げる行為全般を指す

私達の世界は神を(天皇)と位置付けています

この概念は縄文からです(教科書歴史は無視してください)

祝詞を完全なるものにした人が大祓詞です

そして、これを奏上した人は中臣鎌足です

大祓祝詞、別名(中臣祓)と言って内容は

始めの神がお作りになられた、この世界は、たくさんの神々で成り立つ
ここに神々が集う場所を作り、神民の営みを尊貴、平安とせよ
まずは、山々の国土、国型すべて万物を神集う
神民の生きる道を作れ

※生きる道、神がお通りに成るを神道と言います

術や祭祀が神道ではありません。それはそれです。

しかし、思い思いの神民もいるから、平け(教え諭し)
誤った考え、行動したものには罰は罰、咎めは咎めとして
雲が集まるように、雨を起こさせ川に流し、根本が大海に流れる如く
罰は罰、咎めは咎めとして、悔い改める者に対しては
元に戻せ

※つまり、正しき道を目指す者は過ちは考えてあげよ(寛大なんですね)
これを律といい、命といい、令と言います。

ですから、祝詞を言ったらパワーが来るとか、祓いがなされるとか

運が良くなるとか、頭で考えては意味がなくなります

心から出る口で言葉を発して、後からいただく大御稜威なんですね

頭を先にもってきてはいけません。

「大祓詞=大祓祝詞」は天照大御神の言葉なのですから・・・

中臣鎌足はこの教えを時の天皇に奏上したと理解しています

そして、「祝詞とは?」

これを知ってる人は少ない・・・いないかも

そもそも、祝詞は祝いの言葉

ここが肝心要です

祝詞にピンポイントします

神は喜びの存在です

何々してください、力もらえますように、御祓いしてくださいは

本末転倒なお話です

喜びには「喜び」を御返し、これを恩返しといいます

礼をする、柏手をたたく、言葉を発する行為に

ただ、ただ有難い喜びの心を送る媒体が大祓詞なんですね。

よく、神棚や神社で感謝としてお参りしますが

神様は、すでに喜びの存在であるからにして

なんの感謝が必要なのか、これはとても危険な発想で

じゃ、大きな不運や立ち直れない出来事に遭遇して変わりなく感謝するのか

もちろん、神様は心のダメージは神様の胸の内は痛いほど

わかってらっしゃいますから

そんな時程、ただただ、礼をする、柏手をたたく、言葉を発する

これだけで、神様は大御稜威をお使いになられます

そして、あとの祭りとなっていく訳ですね

毎日、祝詞を奏上してるから、よくなったという「あとの祭り」

いつしか、これが祓いとか、パワーとか、運が良くなるとかに

人々の概念が変わっていったんだろうと神様と共に首をかしげてる・・・

ですから、上奏と奏上の意味をよく理解しておけば

言葉を発する中身の文面は、普段使ってる敬語で良いのです

祝詞はその時代、時代の言葉の使い方なんですね

時代が変わっても神様、私達の心は変わらないのです

 

神様も私達も同じ喜びの存在なのですから

そして、この喜びの存在を完結せなばなりません

神棚でも神社でもいい、神の御前で礼を手をたたくのは

自分自身ですよね

自身の心で神を思いますね・・・

その時、神はどこにいますか?

自身の心ですよね

そうであるならば、自分自身が神になります

心で対中するから

人は神を常に外側で観てしまいます。

この辺をよくよくお考えになられてください

その辺の先生よりも心の次元が高くなっていきます

確実に早道で。

自分自身が神となり、自分を拝む事こそ

大いなる大御稜威が働きます

 

※自分を大切にできない人は他人も大切にできない

そんな人には神は宿らないから、神も大切にしない

ここが天照大御神がおっしゃる大祓詞の本質です

私達はすでに高天原に住んでるのですから

見つかる訳がありません。

ショップでは3年の期限がきたので祝詞関係は販売していません

ブログも作品も毎時、進化しています

神に習い、置いていく人は置いていき

ついてこれる人は最大限の努力に努めが

7年前の今日なんですね

神は救われるという概念は人間の勝手なストーリーです

ちゃんと大祓には天照が明言しています

この国、吾国は神がお作り給う国

律に従いなさい

正しき心、正しき言葉、行動

正しきの定義は「喜び・平安」です

もし、正しきが理解できない人は

釈迦を学んでください。

ちなみに釈迦は仏教を広めたのではなく

教えをひろめたのです。

すべての教えは神の教えなんですね。

 

神よ~お布施を促し給へー

このままの日本は新しい宗教が必要です~

私が仕方なく教祖になりますー(笑)

遊びで書いてますから相手にしないでください

お布施だけでいいですから(大爆笑)

 

 

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