霊と悪魔と私

霊と悪魔と私

これらは、いつも在ってないようなもの
霊は素粒子が形態化したもので、悪魔はそれに想念が憑いたもの

素粒子は気のことです。

そして、人はいつも、それを受ける。

しかし、人はしっかり食を整え、気力を養い
風呂に入り、付着物を洗い流す
また、太陽にあたり、心は良い事を考え、希望や夢を持ったりする
また、日常において、様々な責任を持つ。

至って、普通ですが、その普通自体が祓いなんですね
大人はですね・・・。

時々ある、怖い事実。

固定された場所に霊が眠っているとします

自分はもう、肉体がないんだと悟り、その場所から離れたいけど

離れるスベがありません。

そこに悪魔がやってきます。俺の言う通りにしないか?

そこから出してやる。 そして魂を抜く

または、その霊に強引に憑く

そして自由に動く。

こんな話もあります。

上昇しない霊、所謂、浮かばれない

誰かに憑く

憑いた先の肉体が無くなるようしむける

理由は、じつは可哀そうなんですね

一人では上昇できないんです

生きてる間、学んでない。肉体を無くした後では難しいんですね

例えば、どっぷりな夢を観たとします(夢と分からない夢)

これが眠りの途中で、「あっ夢か」と思えば、起きる事が出来るし

夢の主人公の自分に意思をあらわせることができる

誰でも、経験あると思います。そんな状態です。

でも、結局、自分が悪いのです。

この場合の霊は、悪いとは分かっていますが、自分可愛さに

仕方なく、する。

子供の場合は無邪気で心は純粋です

七五三が終わるまで、目を光らせてないと危険です

七才で天と地の守護が働きます。

これは、実話です

台所仕事しながら、足元で3才なる娘は一人で遊んでます

その2,3分の間、気づくと、いないのです

台所は玄関の横でしたから、家の横の公園に行ったのかなとと思い

慌てて探しに行くけど、いない・・・

なぜか、「海」という感覚になり

走っていくと、砂浜から、右手をあげて、海に入ろうとします

大きな声で名前を呼ぶと、こちらを振り向き、難を逃れました

砂浜に降りるには1K先まで行かないとおりれません。

お母さんはコンクリの塀をよじ登り、落ちるように砂浜にでます。

とても、2,3分の間に3才の子ができる事ではありません

何で、一人で海に来たか問うと、おじちゃんが海で遊ぼうと言ったそうです。

その時、何故かご先祖の力で助かったと思ったそうです。

私の娘の話です。聞いた私は激怒しました

こんな事があったという事が気に入りません、神、仏に激怒しました。

あるんですよ・・・実際に。

霊は人間常識が通用しません

人は自分の外ばかり観る、現社会。

教えも、宗教も、経験も生きてる間だけです。

ほとんどの人がバカげた話だと思うはずです

今回、これを書いた理由は多いからです

参考にされてください。

この画像は、昨日は、彩色古墳の環境整備に行ったのです

古墳の入り口なんですが、一般者は、この入口は見れません。封印されています。
中に壁画があるのですが、腐食防止の整備です。入口だけなんですが
近い将来、遊歩道が出来るのか、その整備に行きました。

入れ口、△です。

眠れる人は天に帰る。古代人の考え方です。
現在は霊になる・・・

私達の頭上にはいつも天が見守っているという
また、その天は自分たちの先祖であるという意識です。
大事にしたいですね。

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