自分2025の星供養

皆さん、こんにちはデス
しばらくは足を痛めて身動き取れず地下に潜ってました

今は元気に元の生活に戻り
以前よりも分身が欲しいと動き回っています

来年は至るところで終わりだとかマイナスイメージに映りますが
結局のところ、神様、先祖を敬いながら合掌し
何もない、良い事もない
しかし、元気な自分がいる
何かに対して感謝できる自分がいる。

これこそが神の大御稜威だと思います
最後は神仏=自分次第、受け取り方次第、他人に対しては
あっそういう人もいるんだという
認め育む心が自分を成長させ、優しい日を過ごすと
不思議と良い事象が現れるんですね・・・

神様に何卒、お願いしますとか言っても変わらない
自分が変わらなきゃ、良い事も、嬉しい事も廻ってこない
そう思えてなりません

もちろん、悪人もいます
優しい日々を過ごすんだと言っても、こりゃダメだという人たち
人間的には気遣いや心ある言葉や態度を心掛けていますが
聞く耳持たない人や受け入れてくれない人たちには、あきらめます。
それが仏の智慧で、悪人の人には悪人自身に任せる
これは神の智慧です。

かと言って自ら人を測るという事は控えています。
また、測るんじゃなく、図る人には接触を控えています

自然に例えると草木や花たちにおおわれてキレイな場所を汚す
そこで、そんな事しちゃいけないじゃないかと言う自己欲を抑え
黙って静かに元の状態に戻す
争いはありません、仏には見捨てられ、神からは自らの過ちに気づくまで
負の連鎖を負わされる

イエスは罪を憎み人は憎まず
罪や過ちを犯す人は本人にとっては正しい正義
もし、違う環境であれば、その人は罪や過ちを犯さないかもしれません
その観点から見ると、余計な何が目的なんだろうと思う
何だか人の悪口に聞こえるテレビは見ません

イエスが言った人を憎まずは、よく理解できます
キリストも仏教も教えは元は同じ
日本の自然なる道理が世界にちらばり、聖なる先人達が
日本を訪れこの世界を作ったのです

この世界は宇宙であり、星々は人々であり
大宇宙の星たちにの中には必ず

自分の星(魂の星)
があります。

古代の人たちは家族や愛する人たちが亡くなった時
夜空を見上げて星に向かって心を向けたのです

それが儀式化されたのが星供養または星祭りといいます
近年は厄除け、開運という宗教的要素になってますが

お師匠様いわく

宇宙のどこかに自分の生まれた星がある
その星はいつも、自分を空から見守り、この世で生きる事を応援している
だから、生きてるよ、いつも見ていてくれてありがとう
という意識や心を向ける行為、今年1年守ってくれてありがとう
その感謝の気持ちを起こし星の浄化する事を
星の供養という。
それを形にあらわし本年もお願いしますという行為を祭りという
厄除け、開運は結果に過ぎんとおっしゃられます。

自分の神道の研究では自分の星が乱れると
この世で言うと、部屋が汚い、心が汚い
星の周りに邪が囲うと言う見立てです
すると方程式はこうなります

星が邪に囲まれる→星からの通信→肉体に反応=病気
または~肉体に反応→病気→心病む→気運の低下=病気、負の連鎖=不幸

これは自然の方程式でもあります。植物育てるとよく分かります。

また、負の連鎖が継続するとこの世で何らかの形に変わり
大きく分けると天津罪、国津罪になる。
それは家系の癖になっていき、因縁と言う症状になる

因縁は消化しないと神仏でも手はだせない(およそ3代~4代続く)
ちなみに触り(神の祟り、動物霊、人霊)などによる病気、負は神仏は
瞬時に治せる。
これは私独特の研究

話は長くなりましたが
「自分の星供養」の儀式があります
・2025年1月8日
・3千円、5千円、1万、3万
締め切り:12月16日」

わたし、今回ケガもあったし(後、ささやかな良い事がありました^^)
夫婦揃って1万づつ励もうと思います
今年の1月8日にお寺での儀式を手伝いましたが準備が大変でした
終わって2,3日疲れで寝込みました^^

近日、皆様にメール、LINEでご案内差し上げます
ご参加お待ち致します。

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