天津御神正しき法(教え)とは

光みな我国より

ひつきの神書より一部抜粋
これを持ってる方は今の時代、ちょっと目を通してみませんか?

天津御神は常におわしますところなし

天津御神(天照皇大神)は常に御られるわけではなく、人々の清らかな心に宿り御座します。
賤しい人でも、心が清らかになった瞬間に、神は宿ります。
恐れ多くも、その清らかな心を大切に育みなさい。

これは神代の時代より勅令を発し、大倭国(日本)の末代まで受け継ぎます。
神令の正しい道は、天の道から人民の身体に宿ります。真心を柱として、上(神、目上)を敬い、下(目下)に情をかける。父を尊敬し、子を教育する道しるべが正道となります。
これは、天孫、どの世界でも同じです。

御心の道の事を(神道)と言い、また神道とは実は日本人普通の生活そのものを示す

その生活そのものに示された七種の令があり、これを神令と言います。

一、素直

二、誠心(誠実)

三、慈悲

四、清浄(言葉、ふるまい)清め

五、尊敬

六、努力

七、強く生きる(真面目)

この七種を神より承り習い修める者を神道に仕える(天津御神に従う)者という

そこで本来、神籬(現代では神社、神棚)にて
天津御神の祭祀を奉るには七日の清め(禊)、三日、美しき清き心を保つ
現代では掃除、何かを断つを七日、
おだやか・さわやか・ほがらかを保つ事が該当できるでしょう

この祭祀の間、汚き心、汚い行いをすれば天津御神を辱める行為となし
天罰を賜るため、なだめて許しを請わなければならなくなる。
この天道に背く者は、神でも人でも天罰が下される。

結構、キビシイ部分がありますね・・・

永く広く功績を残すには、努力する
天津神(皇神=空の上)国津神(空の下=地の神)を奉るには清める
人民を治めるには情けをかける
罪人を処罰するには、法に従う
国土(土地)を治めるには、物事が荒立たないよう穏やかに済ます

人々は皆、食物・衣服を大事にする事で餓死することなく、寒死する事もない。
国中安寧で平和であればさらに天孫の徳が国に広く及ぶ

そして人民の心をよく理解し素直、正直、神の御心を柱とすれば
政(まつりごと=政治)も静かに治まる

天津神の御心と人民の心が一つになれば、下国も天となり、人民も神となる。

天の道(神道)には二つの道(心)は無く、一つ道(心)である

その昔、天の八重雲が開かぬ時、太古の時代は全ての物事は自然と成り立っていた。
人民は偽る事なく、風・雨は時々に降り、寒暑は定まり、穀物野菜はよく育ち、
人民は穏やかに過ごし、神の御心も楽しんだ。

天の道は、全てが素朴(自然)であった。

文武も天の道より降り、四季の中に自然に治まった。
文(美しみ)は春の草木を生み、武(たけみ)は秋の木枯らしとなる。
これにより、国土は安定を保ち、安らかとなる。

人民は神道を敬い、人の道を成せば、神の御心が宿ります。
人民が神道に背けば、神の御心は悲しみます。

人民は神の身体であり、神は人民の心である。
身体は心を宿し、心は身体を管理する事で皇神が宿り御座します。

神徳が永く起これば、天は常道(不変の道)となり、人々は生きる事を楽しみ、飢える事も無く凍える事も無い。
人々は皆、生きる事を楽しみ、死す事を悲しむ。
心穏やかに過ごし、五穀や沢山の野菜に恵まれ、天の道定まる。
長寿を保ち死する時は、棺を厚くして墓所を清め、石を盛り岩を建て、あらゆる獣類から
傷つけられないように防ぎ、永く子孫に伝えなければならない。
子孫が先祖を祀るには、目で先祖の顔を観、耳で先祖の声を聞き、生きてお仕え申し上げる。

人が死す時は、天の神の御前に申し上げなければならない。神の心が死す事を悲しまれて在られます。神前を穢してはならない為、喪に服し家にこもり、動物の肉を食した身体を清める
肉を食すると病災となり穢れとなる。
動物にも天の神が宿っている。
人々が肉を食する事を、神は悲しんでおられる。

人々の行動は全て誠心でなければならない。
人々を偽り騙す者は、それまでの功績が日に日に消えてなくなり、神罰が天より降る。
神事に月日を定め、自身の過ちを問い正せば天の神が降られ、その穢れ罪を無き者とされる

それでも我が子(神の子=神民)の為、
太古のように地球を整えられる慈悲の中にいると思います

外国の人々にも、神道を敬う者がいる。その者の言葉は我皇太神の法と同じ意味を持ち、
全ての人々の救いとなる為、いつくしみ、その教えを育むとよい。

天津御神正しき法(教え)とは

正しき法は自身の定めの事であり、その定めは現在の環境状態~過去~未来も
事です。
その定めに令が神書に書いてある通り四種・六種であり
定めと令で正しき法となります。

しかし、環境、状態が苦であったり変化したいと思えば
神書に書いてます通り(純粋・正しさ・慈愛・明るさ)を持って過ごすと
正しき法の中に神様の「大御稜威:おおみいつ」が働き
心に皇神が宿り良い方向に導かれます
逆に心が病むと身に影響し、身も病気となり皇神は心から瞬時に
いなくなります。
身を正しく心も正しく日月を過ごすと
天津御神はあなたの心に常におわします。また常にもおわしません。
これは、あなた自身に気づきを与えようとして見る、聞く、触れる、話す事で
「大御稜威」をいつもなげかけていらっしゃいます。
それは人が神であったり、自然であったり、起きる物事であったりで
様々に御神の力が常におわされます。
ここが常におわし、常におわしませんとなる訳です。

※神仏は神社仏閣だけではなく街中や何でもないところにもおわします。
という事はいつでも神様はあなたのそばにいらっしゃいます。

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