高天原の二十一神道

私のこれまでの学びは高天原の二十一神道を知る事でした

その前に神様と御仏を知らねばなりません。

神道とは自身の心を守る道であり、心動く(乱される)時は魂魄(こんぱく)乱れ
心静まる時は魂魄穏(穏やか)
しかし、これをを守る時は鬼神鎮が鎮ます

それは人は心にいつも善悪を秘めてますから正道は鬼の道如く困難という事です

またこれを守らざる時は鬼神乱れて災難や病気が起こる
ただただ、己の心の神を祭る者のみ。

 

鬼神鎮まるとは禍津日神(罪)の現れをさしており、その原因は
「穢れ」であり、それは人の心の中に存在する。
神道とは心を守る道なり故、自らの心が神の御心と一体になることによって
己の心の神を祭る者のみ禍津日神の出現を祓い阻止する事ができます。

己の心の神とは自身の霊つまり「自霊」の事です

神話上に出てくる御伽話の神ではありません
自身の心は姿なくカタチなく名前なく絶対無の神であり

大元玄霊の神の分け御霊なのですから・・・

神皇産霊尊の精麻ネックレス

心は「裏」裏の祓い、身は「表」表の祓いで

全体で二十一神が生まれた時に備わっています。

ここで御仏と神を分ける事は精神のゾーン高くはまだです

どちらも同じです

遥か古代、二人の聖がそれぞれ日の国(日本)から星の国
月の国へと旅立ちました。

儒教(朱子学)、道教、仏教の基盤となる教えです

日本(日本人)は自然もすべてが神です。縄文人よりの思想です
すべてですから戦争などありえません。2万年平和が続きます
しかし、血が途絶えていきます
教えが薄くなっていきます。現代とほぼ変わらないでしょう・・・

吾が日本は種子を生じ、星の国、月の国と基盤ができて
やがて逆輸入されました。
元々、日本は神の国ある故に外国の教えは拒絶されましたが
大元は日本の教えのからできたものなので
受入れされていきます。

かの南無大師遍照金剛(空海)が20年の留学をやめて2年
または半年と言われますが伝法灌頂を恵果師匠から受けた時
この秘密を知って、日本こそ学びの国(秘密の教え)として
唐にいても意味なく帰って来たと理解しています。

帰国後、空白の7年は九州の朝倉、うきは、糸島、熊本・鹿児島を
まわり恵果師匠の教えを検証していたのではないかと思われます

神が種ならば儒教(朱子学)、道教は枝

しかし、これだけでは何の植物かまだわかりません
ようやく釈迦が葉、実となり神の教え(真理)を根本に
仏教を広めたと理解しています。
釈迦が教えた仏教は「心」だと理解しています

空海も心こそ密教なりとおっしゃっています
だから合う事もあり、私は好きなんですね・・・

御仏(心)は理想の場所、高き遠い場所にあらず
心にあると気づくべしと、はっきり言及されています。

言うならな家の教えで、その土台が神道となります。
ですので私の所では神仏同じ奉りなのです・・・

上の画像はいつもの神様へのお供えです

しかし、違います。

御仏にお供えする水もお茶もご飯もロウソク火、花もそうですが
お供えでしょうか?

ヒントは清酒も白米も古代米も塩も力の原子です

どなたか学びにいらしてみませんか

何でしょうか?

「考えても分からなければ自分の自霊に問うてみてください・・必ず教えてくれます」

(わたし〇〇の自霊殿、教え給う)と聞いたらいいです

間違ってもいいから勇気だしてコメントください。

さて二十一神道、二十一の神です。

この世は表(今世)裏(あの世)という身と魂の世界があります

これは2つで1つ。バランスが崩れた時、災難や病気が生じます
先ほど書きましたように心にはいつも善悪が存在しているからです

ちょっとそれますが善も悪であり悪も善なるものでもあります
釈迦はこれに「仕方がないと言及したのですね」

表あれば裏があって1つ

内外表裏之二十一神

※祓禊(みそぎ)之九神

 

※表祓之七神

 

※裏祓之五神

全部で二十一之神

神様の御前にて。神棚がない方は神社一の宮で、または
元旦祝詞の後にする日常の作法の後に東に向いて二礼二拍手一礼し

内外表裏之二十一神祝詞を奏上します。

 

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