挑戦!観る者語らず語る者観らず

神の世界の知識を学び

過去の聖者、覚者の聖典、書物、何が言いたいのか

注意深く学ぶ(知る)ことが、まず大事であろう

学びには、知りたいという欲と実行力が必要である

その世においても、知識がないと試験には合格しない

故に神の世界知る者、観る者、自身の在りようが大事

これを道という

道なき者は神社、仏閣に感謝、恩恵の道を歩むがよかろう

「今、ここに」神の印つけてあるの観えず

神は「こうで在れ」と申しておるに磨こうとはせん

道なき者、神はそう甘くない

未来は今と変わらずかの・・・

神が今、観らず者語らず

語る者観らず、知る者知らず、を歩め

道歩む者、神通自在である

 

いきなり、重たい文面からはじまりましたね

 

今日の朝取り野菜を収穫してる時、ふと思い出しました

修験道系の神霊でした

いつかは、神事は止め、一体となり

のんびり、神様と水入らずで

田舎でその日に食べる分だけの食事にありつければいい

そんな夢を抱きながら、神に自身の決意と宣言の太祝詞を奏上したのが20年前

すべてを捨て、すべてのリスクを負う

負けたら途中で死ぬしかない・・・

しかし、知る事がそれらの上回っていましたから、道に入ったのです

あとは、拝む側にはなりたくないという思いもありましたね

じつは結果というものは

未来が決める!

当たり前ですね

しかし、その本質は人は知らない

今しか、見ない

「今」というものは非常に曖昧で優しいものです

釈迦が言う、「今」は今を観て今(未来)を変えよなんですね

なぜ、曖昧で優しいものなのかは

現在、令和4年7月ですね

人は目の前の現実しか観ない

家庭、仕事、環境、他を崩すのが、壊れるのが怖い

だから無難な道を選択し、困れば神頼みで何とか済ませる

現実しか観ないから精神はついていかない

何かに理由つけて精神を高めてみようと思う気がすらない

同時、情熱がついていかない

これが「今」の一般的な社会ですが

目覚めてる人はいます

そういう人は自己の喜びを優先しています

うまくバランス取って家庭を両立したり

長年の重みが開放され自己に目覚めた人

 

やってやろうじゃねいか!っていう

それも、わかるんだけど環境が・・・当然、あると思います

発掘においても、先輩たちから、あなたはいいわねー

こうやって、のんびり仕事ができて、私達なんか

これしか仕事ないし年金だけじゃ食えないのよ何て会話があります

私、自由的な日常ですので、そういうオーラがでてるのでしょうか(笑)

あなたは全てを捨て、すべてのリスクを負いましたか?

私はすべてを捨て、立ちはだかるリスクに対応しました

だから「今」があるのです。

しかし、神は愛をお持ちです

負ったリスクは神は戻してくれて、分かち合える世界を与えてくれました

最低のリスクはまだまだ、残ってますが、何とか生きる事は保証されています

それは本気で挑戦し、自分に負けなかったからです

最初にやったことは、どうやったら実行できる環境になるか?

それを終わらせました

会社に、家族に、自身の不安を変える努力をしました

そして決意と宣言して神霊から言われた出雲に行きました

 

今の世は決して見る事ができない、正神の五体の龍です

その日から道が始まりました

出雲のどこで入手したかは忘れました

いつの間にか持っていたんですね

持って帰って来たんなら仕方がない・・・ご神体にしよう

ご神体と言っても神の神体ではない、自分の未来に形つける

ものにしよう・・・

 

それから月日が立ち

あらたな未来に向かって「今」三段階目に決意しています

それは4,5年位前から始まっていったもので

観音像、龍、水晶、などの神物がなくなり、教えである神書を公開し

神のお誘いに乗らない人たちは

段々と私の前から形が消えていっています

残るは、このブログでしょうか・・・

最後は精神で神と一体する

精神は死なない

 

画像は私にとっては、道の始めのモノです

きっと未来に寄り添ってくれると思います

負けそうになる時、決意を思い出す為によく握ってました

最終、叶ったんですね、長かったけど・・・。私の場合、長いのが宿命。

精神は精神で対応しなければなりません

 

※令和ですからまずは強制で始まります

良い悪いの声は社会で大きくでますが

強制で5=6年後、来年か再来年で治まります

そうしないと地球はこわれ人間は腐れます

のちに来る世は和です。

平成は落ち着きで始まり、のちに誰でも成功で終わりました

平けくはすべてが平らになって男女平等や女性進出

男女、女男がすべてフラット

神は試されました

そして諸業無常が動きます

文明そのものはさらに進みますが人の情熱

ついていけません

強制で昭和の「男は黙ってサッポロビール」的な

厳しきもあり、ドンとかまえた強い精神力を神は必要としています。

男が、か弱い女性、子供達を真に支ていく時代です

俺にまかせろ! いないですね・・・

男も女も自分の事ばっかり

柱がない社会です

 

人は現在、わからぬ世であるから生きる為に

すぐ利益になる、不利益を取り除こうとしています

しかし、その形はあくまでも形で

精神あっての形、心(自我)が先に進み過ぎ

元を正せば目に見えぬ一点の粒。

 

ですから「今」、未来の喜びと満足を位置づけする時。

そこに精神を持ってくる時

人は現実での「今」の見方をしているから未来の今もそのまま

何年か後、同じ事で悩んでます、迷っています。

それは柱に自己の喜びと満足というタイトルがないから・・・

いい時は感謝、おかげと発し

悪い時は利を求める

ですから神様は陰日向嫌いな私には甘さは贈られません。

 

これには日月神示の通り

どうもこうもならん時が来る

御霊を磨けとあります

磨けとは一度、空っぽにせよ

穴を掘れ、余計な土を出せという意味なんですね

最近、なんで、わざわざ遺跡発掘に行くのかの理由がわかりました

一旦、捨て去る、クリーンになれ

つまり新しき、道を歩めという示し

詰まった時に神に嘆願しても相手してくれないということです

磨いた者に気づきを促せた方が世を変えるのが早い

時代はそのように移り変わりしてきました。

せっかく考える時間が2年もあったのに

すぐ、未だに現実のだけ見る

「未来は今を作り過去を癒す」

一度、決心、宣言したら

あとは「今」をもっと良くしようと懸命に励み

反対に未来は観る必要はない

それは未来に固執すると粒は違うか形に変化してしまう

思い過ぎは逆効果。瞑想時で自己への命令は一度しか言わない。

これは、すでに決心、宣言してるからなんですね。

そして誰にでも小休止という時間がきます

あ~良かった感謝というものが

その時、神に感謝なんて思えば

神は分かっておると思~たが、分かってないのと

奈落に落とされる

分からせる為に。

だから、落とされないよう勝ち目はありませんから

同時、学んできました

 

私はいつも思ってました

神は喜びの存在、神を拝む者こそ喜びでないといけない

ただ、感謝だとか守護だとかで神拝むは子でない

同じ世界でないといけない

そう思いながら、約束は守った

 

観る者はすでに観ているから、あらためて語る必要はない

知る者は、それを知ってるから語れない、表現ができない

神を知る者はいちいち神を語らない、知らないふりする

知らないふりは神を知らない人の為でもある

知らない人に話しても、その人は道をはずす

自身の在りようを知った時、知りたいと思った欲は消される

自力を神は基本、望んでいます。

 

自身の中にいる神

外にいる神も自身の中にいる

何でわざわざ、神に拝むか、拝みに来るのか

それは底に利を求めている

神はすでに承知

だから愛で対処する

愛を神に与えないと神は厳しさを分からせる

私の神は厳しい、しかし、必ず平安を約束してくれます

 

この石は私が使ったものだから役に立つと思います

同時、神が望むものを知ってください

 

 

あっ神様の特長の1つ・・・時々、試されます

心に陰日向なき者は愛されます。

この石のおかげか分かりませんが

色々、学べた・・・感謝です。

感謝の相手は誰でしょう?

 

引き寄せの奥儀でもありますね

それと益々、茶番が広がっていきます

そうしないと人々の精神はついていけない

来年は最後の晩餐的を乗り越えれば・・・

裏切者、分裂が脳裏をよぎりそうです

今の茶番は神がわざと見過ごしてると理解ください

 

そして、お茶を濁さないよう自己の在りようを見つめてください

自己の確立に励んでください。そこが救いになりますね

 

 

※こうならんかなーと祈りになれば、成りません

こうなりたいと思えば、成ります

そこに一片の持ち分があれば成就しません

物質、精神、捨てれるものがあれば捨てる

いいとこ取りは、成就しません

拝み倒せば、可能ですが御霊は磨けません

神は勇気も求めています。

経験値からお話しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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