人生、生きていれば何度か神がいない時がある
まぁ生きていればこそなんですよね・・・つくづく思います
私事で恐縮ですが、会社時代は家業でしたので必然的に
社長の代理でもあり、会議や出張や
また、現場での社員教育やクレームから売り上げから管理職的な
仕事も担っていました
そんな時ですね、入院したんですよ
長年のストレス。主治医も原因が分からない
それで、手術して3ケ月
会社大丈夫かなー・・・大丈夫かよ、そんな思ってました
次は、会社引退して自由になっても忙しかったんですね
神様事してましたので、次から次に人が来る
御守りも作ってあげないといけない、話聞いてあげないといけない
その人の負を完全に取り除いてあげないといけない
そういう使命感みたいなの持っていたんでしょうね
性質が牽牛ですから・・・
そんな時、出雲に行く縁が出来まして行った訳なんですけど
心のパワーが弱わまってたんでしょうね・・・やられて帰ってきました
ズタズタにやられました。曲神霊からの総攻撃です
「出雲が悪いというのではありません。 誤解なく」
その霊障が帰ってきて、首が異様に腫れてきました
でっ、病院に行ったら、即入院で手術・・・またかよ!と。
でも、そんな時って、ゆっくり考える時間がありますよね
「私の場合は何事も平常心で穏やか」これが神を祀る上での自分の鉄則でした
これがですね・・・通常時だと何ともなかったんですね
じつは、「自分の天中殺」を忘れていたんですね
天中殺については、このブログで何度も触れていますが
その時期は外的な作用は別にして、内的、つまり心の作用があるんですね
それは、何かと言うと、その間は「自分の頭上に天はいない」
空間がないのです。
あるのは「地」のみ
空間がないから、当然、心の拠り所がない。つまり魂の行き場がない
ですから心、魂がふわふわ交差するような状態なんですね
・心=精神が不安定となりやすい
・気のあせり
・欲の抑制が難しい
・思考がズレやすい
天の下(あめのした)には、いないという事になります。
ですから、先日記事の創造のお話が相殺されます
結局、天中殺期間は「心は叶わない」形として、叶っても明けから
じわじわと消滅の可能性があります。
見届け人がいないという事です。
とは、言っても天はそんなに、いじわるではありません。
問題は「心の在りよう」です。
それを天は観よと令を下すのです
天中殺は大運、年運(12年に1度、2年間)、月、日できます
そして、天中殺は6種類あります。
例えば、月の天中殺で8月、9月は天中殺月であり「申酉天中殺」
皆がみな、この天中殺が来ると世界は廻りません
だから、6種類、大運、年運、月、日と分かれています
申酉の人が天の下にいない時は、他の5種類の天中殺の方が
世界を廻らせています
ここで、重要な点ですが、世界は天や神が動かしてるのではなく
天でさえも、天は定めに、神は法に従ってるだけで
実際に世界を動かしてるのは、大金持ちでも権力者でもありません
その人達も含む、私達の心が動かしています。
でもですね。いやー私がいないと・・あれもしないと、これもしないと
する者はいないし・・・と自分を剋し、してしまいがちですね
私は家族の為に、何千人と社員とその家族の為に、私を頼る人たちの為にと
それでも動いてしまいます。
天中殺期間は、その人にとっては「冬」で気が枯れる時で
エネルギーを蓄積する時なんです。
その間に、その人にとっては次は「春」、春が来るまでに
その為に気力と学びを学習しておき、芽を出して活動する時期には
充分に、動けるようにする為の「天の計らい」なんですね
それでも、その期間を受け止めれない方もいると思います
または、忠告しても日常が忙しくて忘れている
そんな時、天としては
その個人の周りがどうあろうが
天には関係ない事なんです
天は、その個人のみ、観てる訳ですから
その個人が肉体と心を大切にしているかを観ます。
そこには天道という教えがあります
人は、これから
「皆、天にして我なし、みな、神にして私なし」の
意味を知る時だと思います。
まぁ、キツイ時とか、何もしたくない、考えたくないという時は
ゆっくり休んで気力を養うが一番ですね
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