大晦日までと年始、そしてみんな飛躍!

一昨日の夜はふたご座流星群だったそうです
今年、最後の大きな星の動きですね

それは神々の動き
来年は変わり目のスタートです

2020年に始まった時代の変化
金融と人の動き

これからカメレオンのように生きていかないと
いけないかもしれませんね

来年、2023年を喜びある、充実した年にしなければ
辰年の2024年は全く予想だにしない10年が乗り越えられません。

来年はその見極め・・・社会から見極めされます

神民一丸となって神が了承した世界へと
私達は導かれます

そして、何が来年は大切かと言うと・・・

それは「心」の準備。何事もです

やっと心の時代がやってきます

ですから、私には無理だ、嫌いだ、時間がないなど言い訳しないで
黙って神(宇宙)についていくという認識が必要かと思います

縄文日本から引き継いだ2500年前からあるお釈迦さまの教えに

「一切皆苦」があります。天の采配により「思い通りに」はならない!
この世はそのように創られています。

来年前半は天から、そのお試しにおそわれそうです

「諸行無常」すべての物事は壊れる、なくなる、消える
苦しみや葛藤さえも消え失せるという定めがあります

いつかは苦もなくなる。そして楽に変わる

次に大切なのが「諸法無我」ここが大切です
この世の物事は心さえも、すべて過去性という錯覚において
じつは、未来から起こるもの。因果ですね。

これは何度もブログに書いてます
例えば、今が喜びや希望ならば、未来はカタチがついたものになる!

その未来から観た「今」はどうでしょうか?

あの時の、あの出来事が、あの頑張りが、挑戦が、気づきがあったから

未来の今で進化した喜びのカタチに必ずなっています。
過去が癒される、自分で自分の過去に敬意を持てる

諸法無我の無我は幻想、幻影を意味します
こんな教えは古代からあるんです

しかし、目の前の物事にいつも引っ張られ私達は見失います

ですから、くそー絶対やってやる!という昭和根性や先人の智慧も一緒に
しないと、これから来ると予想される困難に向かってはいけません

日本人、一人一人が神風を起こさないといけません
鎌倉時代に神は起こしてくれました
今度は私達、人間一人一人が天に御返しする番です

鎌倉殿はその宇宙にリンクしています。でも、もう終わりですね

じつは・・・平家と源氏の戦いは今も続いています

倭の大乱~白村江~曽我と中臣~大きく時代を分けるのが平家と源氏の壇ノ浦の戦い

そして鎌倉殿。やがて時が過ぎ平家分裂の南北朝、日本が割れました

戦国信長登場の戦国は今。

年が変わると前半は秀吉、後半は家康。

平家と源氏の戦いは繰り返します。

最終的に源氏の江戸時代が始まります

幕府と新政府軍で明治が始まり平家の時代です。

大東亜戦争でアメリカに破れます。新しい日本で源氏

昭和天皇がご崩御され平成で平家

令和でまた源氏に戻ります。

つまり、関ヶ原が終わった状態が来年の卯と観ています。まぁお伽噺と
思ってください・・・

何気ない現実世界はリンクしているという示しです。

ですから、下記の通りに動いています。誰がシステム作ったのか・・・

現実は大凶期ですが人の精神は安定してます。今は安定に向かう所。

ですから心の時代が来るのです。現実の困難は心でしか補えない

そして、また転換期が来ます。上昇です。現実も精神も有頂天に向かいます
過去において、人々は余裕があるから、悲しいドラマがヒットしました。
私もハマった冬のソナタ(笑)、興味深々のオーラ流行

所謂、偽スピリチュアル。
子年以降、軽度な精神は対応できません。そして現在に至ります
早い人は甘い言葉から心理系、物理を合わせたスピ系に移行します
それは現在も続いてますが、面白いのが、完全に現実にマッチした
開運、金運、健康運、ご縁運などの縁起(神)を求めています。

惜しいかな・・・次元が昔ながらのそこまで来てるのに
もっと上の自然法則には目を向ける能力はありません。

しかし、寄り道してない人は真っ直ぐ真理(倫理)、自然万物を神と観た
人は心は広がっています。

縄文人で争いがなかったのは物事や心さえも万物の神と観ていたので
お互い寄り添う、協力するという考えで、神を祀るにしても
1本の花と岩で神を観る

争いと言う概念がなかったから2万年も平和が続いた。そう理解しています

今、最も必要なのは老子、孔子、孫氏、道教
特に道教はイメージで術や霊符等のイメージがありますが
自然を基本とした道徳教の略です。

これらは根に縄文(神道)があるとすれば枝葉です。
しかし、同じ一本の木。ですから神に言わせると神道も仏教もキリストも
イスラムもありません。

その根底は「心」。これを大事に我欲を捨て年を向かいましょう

我欲と言っても精進みたいなものではありません
人との協調、協力、慈悲、気遣い、心遣いです。
俺が先、私が先、正義だという外国(下界)の教えに惑うことなくと
古い古文に記されています。

神の名も「空虚大元尊神」簡易的に大元津命神と言います
字が違いますね・・・尊と命。命は自身の事です。

さて、年末から来年なんですが
30日までに「塵・埃・ゴミという邪気」を大祓詞で除去

その後に大元津命神祝詞を言う

大元津命神祝詞

ひらがなで書きますね。漢字はご自身で考えて変換してください
え=へ、なんんですが、え、
い=ひ、で書きます。

これの ところに しずまります

おおもとつみおやのおほかみ 大日霊己貴(おおひるめむち)
「大日霊己貴は後の天照大御神:岩戸を出た時の御名」

あまつかみ くにつかみ やほよろづのかみたちの 宇頭(うず:宇宙の事)ままえに

いみまはり きよまはり つつしみうやまい かしこみも まらさく

おほかみの たかきたふとき みたまの ふゆをもちて あわれみたまいて

いえかどたかくしめ(しめ=しめ縄)=引き締め)たちさかえ めぐみたまいて

たふとみ うれしみ かしこみ かしこみも

あられまつらくと まおす。

※意味も自身で解読してください

大晦日を幸せに過ごし、元旦は喜びで目覚めます

目覚めたら、寝床から自身に「おめでとうございます」と一番に口を発します

そして、神様に元旦祝詞を奏上します。
神棚がない方は東に向いて行ってください。

元旦祝詞

(現、漢字・ひらがなで書きます)

令和5年と 改まれる年の始めの 朝日の 豊坂登に

かけまくも 畏き 〇〇大神(氏神)または天照大神の大前を

慎み敬い 常にも仕え奉る 自分の家氏(〇〇家)

ゆまはり 清まはり これの 御殿(みあらか)を

厳(いつ)の磐境(いわさか)と 祓い清め いやしろの みてぐらと

讃え奉る(これは神棚の事です)

ゆきの 大神酒を 言和(こととぐし) 恵みと 恵み恵みに

うずの 大御膳(おおみけ)を 高杯(たかつき)の 弥高々に

汁にも 米(よね)にも 赤丹(あかに)の穂に 聞食て(きこしめして)
(赤丹穂=赤米=私は赤飯を出してます。元々は赤米の事です)

皇美麻命(すめみまのみこと) の 大御世(おほみよ)は

衝立(つきたて)る 門松の 堅石(かきは)に 常石(ときは)に

変わることなく いみ竹の 千代に 八千代に 立ち栄えゆべく

斎奉り(いわいまつり) 氏神敷き座(ませ)る 氏子(〇〇家)の

親族(うからやから) は 捧げ奉る 餅の 鏡心 足いに(たらいに)
(餅=キリストが言う白いパンの事です。鏡心=鏡餅=キレイな心)

吉事(よごと) 重ね締め給い 若水の 弥栄に

引神縄(ひくしめ)の  年の緒長く 令(しめ)

仕え 奉給え(まつたまえ)と 畏美(かしこみ) 畏美母(かしこみも)

讃え事 讃え 奉良久(まつらく)と 白須(まをす)

一旦、掃除(心の掃除:家の邪気掃い)して
人の成り立ち(大祓詞)を言って、宇宙(天に反省と感謝)して
暗闇を過ごす。
朝の初日の出は天照大御神が天照大神の五光をいただいて新しい世が始まる
世に目覚めた時、一番に「おめでとうございます」と言う。そして・・・
喜びの始めを迎える。これを迎春と言います。

おめでとう=私 ございます=私は在る=ここにいる という意味で

自らのその声は空虚大元尊神となり、つまり宇宙の創造の神は「私」となる

すべては「私」が作り出したもの。自然も物事も。

天気は雲の事流れて消える、晴れもあれば雨もある、時に嵐もある

心の移りようをたとえて天気。

これを釈尊は「諸行無常」と言ったのであります。

皆さま、良い年になりますように。

私も自分だけの神道に入ります。間口も広げてwelcomeで限定をなくします。
その始めはインスタ、tiktokで遊んでます。

今年はご近所さんからいただいた藁で神様のしめ縄を作ります^^

外は寒いので家の中でブルーシートして部屋は藁だらけ、二、三日はこの状態

縁側にも画像の倍程、置いており

やっと稲穂の袴を全部、取ってキレイにしました。あとは縄を編む

袴取らないとキレイな縄にならないと教えてもらいました

神事用なので一本のしめ縄で三本、二本は左縄巻、もう一本は右縄巻

これで一本の締めククリ姫となります。

たくさん貰ったから大きなしめ縄ができます

楽しみ^^

2 件のコメント

  • こんにちは^^。こちらの県も初雪が降ってきました。

    大晦日までの心づもり、貴重な祝詞を教えてくださり、ありがとうございます。

    祝詞をぶつぶつと唱えますとホワッと色んな意味で温かくなりました。

    しめ縄作り、手作りいいですね。子供が手元にいる頃、仲間と一緒に作っていましたが、コツと労力がいるんですよね。でも、自分で作ったしめ縄、凄く嬉しかった記憶があります(^ ^)

    • 祝詞の本質は自身の喜びを文面に乗せてあげる
      奏上と言って、奉る、十字がズレます。天と自身が合い重なる
      自身も上がる。不思議な力があるんですね

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