念願の遺跡発掘に行ってきた

一言で言うと楽しい!  けど、ばりキツイ!

その時代の生活様式やここに住んでたんだなぁと思うと

どんな事を考え、どんな事に悩んでいたんだろう・・・

ひょっとしたら今の時代と変わらないかもしれない

そう思いながら、作業は進み全体の想像に向かって進んでいきます

学芸監督や考古学の先生は、ここは遺跡でも特殊で

これから様々なモノが出て来るよと言っていらっしゃいました

古代の教えを受けるには、まず観て触って、 発掘されてない(展示)や

その地の雰囲気を感受が必要と 長年思いを寄せてました

私の中で日本が成立しようとする年代に興味があり、ご縁いただいたところは

ご訪問下さりありがとうございます。続きをご覧くださいませ

竪穴式住居で奈良時代が始まった時代で、奈良の大仏さんの構想の時だそうです

だから新生日本ですね

まだ日本がハッキリ決まってない倭国から、または王朝が様々にあった時代

神代文字で言うと色んな字を使用し国語として使われてない 時代から

ようやく縄文の阿比留文字が国としての字になっていく時代から

唐と新羅連合と倭国連合軍、百済連合の戦い(白村江戦い)で日本は大敗し

神代文字や日本史は焚書にされ日本の歴史は唐に抹消されました

大宰府の迎賓館や久留米~朝倉~うきは~筑後の巨大な都は破壊され

文化は破壊され民は男女共、殺されたり奴隷にされ連れていかれたり

すべてが破壊され、都は東に移動し新生日本と生まれ変わり律令が出来始めた時代

国として機能していく時代の竪穴式住居跡の発掘です

しかし私たち祖先である昔の人は偉いですね・・・

新生日本の歴を唐にわからぬように真実を残しています

暗号です(万葉や古今和歌言葉)で子孫に繋がれています

それが古事記、日本書紀です

暗号は物語として読みながら言葉の意図を見つける

解読手法を伝授されたものしか、中身の真実を知る事はできません

ですから、現在は天皇家しかいないのです

暗号ですから外国に漏れることはあってはなりません

古事記とは日本書紀とはを説する話はまだ中身には入ってません

しかし、民の記録や口伝は迫害受けても破壊する事はできませんので

それを知るにはやはり、遺跡が教えてくれます

長い間、これを思い続けやっと叶いました

 

さて、画像は作業入る前で一旦、ユンボが土を剥ぎます

 

 

同時、作業をしながら気をつけて発掘に入りますが、人力でユンボが剥いだ土を

キレイに整地します。先生や学芸監督がどこに遺跡物が眠っているか見極める為です

そこに印をつけ指示を受け、少しづつ穴をそぎ(彫る)ながら行います

「そぎ」と言えば竹をそぐ

 

ここから遺跡に従事するというお示しがあったんですね・・・

ですから、普段とは違う事をしたり、物事に遭遇するという事は

その先があるということですから、皆さんも見逃してはもったいない

でも・・・後からしか分からないんですね・・・

しかし、人生この積み重ねを持ったら智慧として未来、使える事ができます

これが正神仏のやり方で霊感や未来を教えるものは邪と言います。

 

作業は進みます

 

もう、土の表面から色々でてきました

白いのは須恵器で茶色は土師といい、違いは須恵器は舶来品です

弥生時代に朝鮮半島から入ってきたものなんですが、それは事実ですが

半島で作った人は「日本人」です。縄文時代に九州の天変地異で避難したり

文化を開拓したりした日本人の子孫です

 

 

私にとってはもう、たまらい感覚です

これは須恵器で白い色です。1200度以上の窯で焼きます

 

 

しかし、お湯をわかしたりにして使う事は出来ない

水、お酒(どぶろく)などを入れるもので、現代で言うとお客さん用

火を焚いて使う食器は土師の器、茶色のレンガ色ですが

長い年月で色が変わったいったそうです

土師は田んぼ(平地)の粘土状の土で、須恵器は山の土です

ですから、平地の民と山の民の交流が合ったという事になり

これからもっと、たくさんの情報を実践で学んでいきます

1つ感受したのは新生日本時代、大乗仏教が入ってきた当時は

中国から宗教を受入れる要因はひょっとしたら

外国との「つき合い」・・・日本の神がいるから別にいらないけれども

日本の神は世界の中心であるから神も仏も日本の神として

和で持って制するで受入れ、その意図は仕方なくでもあるが

現在で言う、グローバル化じゃないかと思いました

作業も色々、専門用語があり土剥ぎ・土掃除、あとは忘れた

 

この土方のおっさんはわたしです

なんか満足感いっぱいの雰囲気出してます(笑)

昨日、模様があるかけらを発見しました

写真とるの忘れた!

でも、これから色んなのがまだまだ、出てくるそうなので

次にご紹介しますね。

 

 

 

2 件のコメント

  • こんにちは 発掘調査員おめでとうございます。私も昔憧れてましたが今は現地公開説明会に行ったりしています。昨年11月は藤原京右京五条久坊慈明寺遺跡の説明会に参加し、弥生時代の水田跡や井戸、土器や稲刈りの為の石包丁の元になる石器とか見ましたが1番感動したのが 当時の弥生人の足跡がいっぱい残っててこれを見た時『どんな人やったんやろ?男かな?女かな?夫婦かな?親子かなぁ?何喋ってたんやろ?』とかもう説明なんか耳に入らず頭は妄想タイムスリップまっしぐら!ほんと遺跡は時空が飛びます^ ^
    一昨日は明日香四神の館で『キトラ古墳からみる古代中国の天文学』を観てきましたが四神と二十八宿星の関係と意味をプラネタリウム観ながら説明してくれて「うわっショップとブログで見たやつや。そういう意味やったんや」と、ここで学べた事に感謝しました。で、甘樫丘で一休みし帰宅コースを歩いてると発掘調査中の場所に出くわし また頭の中が妄想タイム発動!そうしながら歩いてると土器片を4つも見つけてしまい、そのうちの1つが渦巻模様で一目惚れでしたが一応置いてきました。今ちょっと後悔してます^^;
    長くなりましたが発掘調査員楽しんで下さい!
    これからもブログ楽しみにしています。

    • いつもありがとうございます。
      奈良時代に入ったばかりの竪穴式住居の発掘なんですが縄文土器が出てるんです
      縄文からの集落か山の民との付き合いが想像できます
      また、かまど跡もあり、食器(弥生式)も自分たちで作り、食も自然食
      憧れます・・・
      今回の行動は昔より願っていた発掘作業員、種を蒔いていたら叶うもんですね
      したいことを願う事はやっぱりいい事と改めて思いました。

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