供養というもの

先祖供養や、他の供養というもの

一般的に、霊位が何か浮かばれてないとか、拝むとかイメージすると思います

人それぞれの解釈だとは思いますが

自分の気づきにおいて、そこ根本が違うんじゃないかと・・・

根本は

共に人がいて、あらためて供える

ただ肉体と言うカタチが霊位にはないだけで

生きてる自分も身を無くした霊も同じ心を持っています

ですから、日常と変わりなく接する「心」が大事と思う訳であります

ただ、互いに生きてる世界が違います

自分は現実世界に生きてる訳ですから精神的を強く主におくと

現実はおろそかになると考えます

ご飯(仏飯)を供えるにしても仏さんにではなく

自分もご飯食べるんだから仏さんにもお供えしよう・・・

という視点の違いが大事なんじゃないかと思います

それは、やっぱり心からなんですね

その心を濁らせる事無く

常に養っていく心

すなわち、供養というものではないでしょうか

お寺や聖地に行って、例えば観音様にお賽銭施して

手を合わせたりします

その心も同じで、どうぞ尊い御仏の教えを広めて下さるようにと

願う気持ちも「供養」だと理解しています

仏様は衆生を救うのがお仕事です

そのお仕事が全う出来るように応援といえば

おこがましいですが、共にあるという意味では

供養が生きてくるのではないでしょうか

共に生きてこれて、その証がお布施というものだと思います。

先日、お陰様で神仏に対し別に困った事もないのですが

大日如来に手を合わせに礼拝に行こう

これも「御仏の教えを広めて下さるように」という意味になり

神社の神様も同じだと思うのです

人は用がある時しか神仏には行きません

ない時もあっていいのではないでしょうか

それが徳を積むという事だと理解しています。

この理解が先祖供養へと繋がります

皆様はどうでしょうか

 

 

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