新しき気づきの七日間

蒸し暑い日が続いてますね

地震も頻繁にあったり、気狂いの人も多くなったり

防御と準備は常に念頭を置き、衆生に運びいる、出て来ると言うのでしょうか

人の心が地中から出したのか、餓鬼自ら出て来たのか

餓鬼の供養も大切なのかなと考えさせられます

さて、ここ1週間、色々と励んでました

前の日曜日は仏道の師匠のお寺に行き、開祖の法要に参加してきました

僧侶の端くれは、末端に並んで経を唱えながら寺内を歩きます

歩きながらの供養と瞑想で歩行瞑想というか歩行というか修行の一環です

この時、気づきがあったんです・・・

帰依僧に繋がりました

というのは、普通、真言とか、こう言うとか、作法とか、手印とかに

一般は目を向けがちですが

僧は違います。それはそれで根本なので大事なんですが

仏に向かう心だと考えます。向かう心でも自と他があります

2つ共わないと仏は縁をくれない

認めてくれないと理解します

そして仏道に入るとカルマが来ます。これを消化しないと先に進めません

最初は軽めのジャブと言いましょうか、そうだと思います

カルマと気づきと同時進行です

こういう事もカルマなんだなーと思う時があります

それで、少し環境を変えました。環境を変える事は運気にも繋がります

これねー・・・単純な事なんですけど、威張って言います(笑)

自分も変わるし、身の回りも変わる、思考そのものも変わる

カルマの受け入れ体制も整う、怖いけど・・・

何よりも、空海が「言う神仏は近くにあり」が分かってきて

生きやすい方向に導かれる、縁ももらえる

結果的に何かいい運気かも・・・に繋がる

簡単です。誰にでも出来ます。メンバーしか教えません

その方法とは

すでに、行ってる方もおいでかもしれません

その前に、皆さん「お布施」を理解してください

お布施は神様、仏様に施す

・物質

・形

・労働

この中で一番、尊いのは労働です。でも無理な方もいます

ですから物質があるのです

では、何のために施すのでしょうか

新しい、このブログ記事の中に書いてるかもしれません・・・

それは

神仏が元気で病気などせず、雨風しのぎ私達、衆生ですね

「末永く教えを施してくださいますよう」に。その為の行為であり

これをお布施といいます。

殆どの人が私は毎朝、神棚、仏壇にお参りしている

経も唱えたり、祝詞もちゃんと奏上しています・・・と言うでしょう

 

私ね、変えたんです

毎朝、6時に神仏に参ります

起きたら、タバコ吸いたい、好きなコーヒー飲みたい

何はともあれ、自分の事はあと・・・これお布施の原点です

ですから6時前には神棚、仏前を新しいものに変えます

水、お酒、お茶、ご飯

そして神前、仏前に向かいます

終わってやっと、タバコタイム^^

そう、何はともあれ、神仏が先。

この心が自分を変えてくれます

神は気づきを与えてくれます

仏はご縁を下さり、心を穏やかにしてくださいます

帰依僧・・・じゃなくとも信徒でも信者でも

神仏が私より先という思考が形に繋がり

結果的には言葉にあらわせない至福が贈られます

ぜひ、ルーティンにしていただければ幸いです。

1週間内3日間は発掘仕事、皆いい人ばかりで考えを強制しません

尊重、共有されます、気遣いの言葉も皆さまお持ちです

残り4日間は今が旬の梅ちぎり、酸っぱい梅干し作ります

気分転換に、じぃーっと花を観察するのが好きです

この世は「音=振動」しかありません

この音については次回、縁あらばふれてみたいと思います

この世は幻

空を話してみたいと思います

音が分かった人の事を観世音菩薩と言いますね。

おん あろりきゃ そわか

 

※神道でも正しい神なら、なおさらカルマがきます

 そのカルマを受入れ消化出来た者を解脱と言います

 苦労は神仏

 その苦労を我慢し、正しい道で慈悲を持ち、懸命に生きる事を

 供養といいます

 供養は唱えたり、奏上したりするだけではありません

 常に日常に溢れていると理解しています。

その継続、カタチが神棚であり仏壇でもあると考えます。

 

 

 

 

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