えっそんな事まで?因縁のお話

霊が先で、形(肉)は後です。万物も同じです

天地を作ったイザナギ、イザナミも意思が先で

その前に、「そうしよう・・」という想念が先です

これは精神を学ぶ、進化させる基本中の「根=柱」であります

じゃ、心なんだね・・・と思うかもしれませんが心ではありません

想念は見えませんね、これを霊(自霊)といいます

この自霊は、現在の自分と全く瓜二つ、生活環境も同じです

家族構成、出来事もなんですよ

 

ただ、見えないというだけで同じ次元の世界です

人も動植物も出来事も天気も同じ世界が重なっています。

これを広く言うと霊界といいます

その世界の形態をシンプルにいうと原子「気」です。これを玄気=元気と言います。

私達の世界も気が集まり原子が集積し形になったものです

目の前に置いてる、ペンもガラスコップも元は同じカタチです。

この2つの世界を物質宇宙といい、想念も物質となります

物質でない世界を所謂、極楽、天国、彼岸と言います

(異世界はまた別もので、いつかお話します)

つまり想念とは

ペンを作ろう、ガラスを作ろうですね・・・お話についてきていますか?

棒読みではありませんか?

ここで一旦、イメージし理解に努める事が先にいけるステップです。

それを出来るだけ分かりやすく書いてみますが

学がないので、譬え話がうまく表現できない部分はご容赦ください

見えない事や感覚的な事をうまく話する事は

感覚は人それぞれですから結構、難しい(言い訳しときますね)

心は、このコップは手に馴染んで持ちやすく丈夫にしよう

そして、誰からも素敵!と言われるカタチにしよう

このお守りバージョンや神様の詞などを書いた和紙作品が

私が作るものです。

ほとんどの人が心や魂の本当の意味を知らず、片づけますが違うのです

それらを分け隔てたのが古代から残る、遺跡の壁画の記号や象形

より具体的(ストーリー)にして人物象や物などを壁画に書いて

記録、後世に伝える為に存在するものです

先に私たちの世界はという事を知らないと心に進めません

 

もっと具体的にお話を続けてみます

「えっそんな事まで?因縁って?」

因縁を知るには、まず経験と思考探求の努力が必要です

また、これもほとんどの、その道の人が気づいていない

特にいいとこ取りの人はまたは知らない。

万物というのは

神でもあり、悪魔でもあります。極楽でもあり、地獄でもある訳です。

これを万物の平等作用です。正無ければ悪もない、その反対もないです。

後でその作用の方程式も交えて、ご説明しますね

例えば、よくある話です

家庭問題、人間関係、お金、健康、広く言うと不運

これらを無くすには、まず懴悔が大切です

実体がない気が心身を養う

2022年1月26日

 この記事に書いてある事を応用に、その日のその晩にが大切です

同時、明日のヤル気と希望も大事です。

さて、様々な問題、不運事に霊的相談すると、こう言われるでしょう・・・

 

それは、あなたの因縁ですね

あなたの前世では、あーだ、こーだと

相談者本人主体で言われるでしょう

それは違います!

「あなたが生まれた事で」

すべてのストーリーがリスタート。続く始まりという事ですね

万物が動くという事ですね

すべてが動くという事であり

前文でお話ししましたように因縁は

もう一人の私を知らないと理解はできません

先程、「あなたの因縁ですね」と書きました

それは3つに分かれます

その内の2つを消化できる(完結)出来る人は、およそ3人に1人の

割合で生まれます

過酷、荒波人生を歩みますが、完結できるパワー(根性)と

普通の人にはない能力が与えられます

(その能力に気づいてない人は常に葛藤するでしょう・・)

というよりは、その力は見えない、もう一人の私が持っています

この辺でやっと心というものの説明ができます

その方程式から説明します

因縁は大変、ややこしい・・・

しかしメカニズムを知ると、それはそれはシンプルなんです

本来、過去も未来もありませんが、未来は確実に瞬時に変わります

心は・・・

このお話は子孫に教える事ができ役に立ちます

心はよく言われるように、偽物です。

感がいい人は、もう一人の私?

じゃ、今、私が考えてる事は、明日の事、先々の事は偽物?

ここに気づきます

自霊の想念→自霊の決断→自霊の行動→私(この世)の想念→

そして、私の決断→私の行動→自霊の結果→私の結果=すべて。

この順番なんです

心は自霊の想念と自霊ではない外側(他人や物事)を受け取る器です

ですから心とは、魂の拠り所であるから感情が成立するのです

その感情を受け取る器でもあります

※厳密に言うと、これ理解難しいと思いますが

自己と思ってる心は偽物なのです

本物は自霊の想念であり、また自霊を動かすものは因という

物事が作っています

その物事を起こしてるのはじつは実体がない神なのです

産まれたものは責任を持てと言っているのです

この厳しさに愛や慈悲はありません。神の一部です

また因を作ったのも神です

天地を作られた時、因も作られたのです

受け取るのは人間です

姿なき、名なき神が天地を作らせた時

責任もついてきたのですね

責任を取らせる為に生かされているのです

神は厳しいのです。命さえもとります

その神の心を動かすのは人間しかいないのです

(これ知るのに40年かかりました)

自己にある心は表層の心で

心の中の心、また心からという心は自霊の心です

つまり現実における自己の心は無いのです

あなたはどこの世界に生きていますか?

現実ですよね・・・

神様は形を作られたのです

形ある私達に委ねられたのです

自霊を変えよ。

その上にはまた上がいます

あっ守護霊は自霊ですよ

自霊を動かさす、上の霊がいます。

(これについては、いつか・・・)

さらに、また説明を続けます

先の説明を踏まえた上で進みます

 

因縁は3つ

1つは、父からの因縁

2つは、母からの因縁、この2つは家系の因縁になります

3つは、自身の因縁

人は肉体、性質すべて父から受け継ぎます

考え方、性格は徐々(生まれて)に母から受け継ぎます

父から受け継いだ性質、これは精神

人生で最も左右する因となります

これらが土台で生きていきます

その過程で気づきや、行動、思考は自身の因となっていきますが

およそ、家系3代~4代の先祖から土台を受け継いでいます

つまり、生まれ変わり。

そしてこの世で生きながらに何度も(何人の自分)と生まれ変わります

つまり、ご先祖の生まれ変わりが「私」なのです

私が幸せならば、ご先祖様も幸せなのです

自身が今、苦しければ、ご先祖様もあの世で何らか修行されてるのです。

ですから、ご仏前に手を合わせたり、神を敬う柏手を打ったりする事は

自身に喜びを与える行為なんですね

古代人はここの考えを大事にしてきました。

そして家系の因縁が完結できた暁には他家に転生します

何か他人とは思えない、気が合うになるんですね

この家系の因縁を完結する人は、その家の財産を消化させます

でも、安心してください。自身が築いた財産は残ります

先程、家系3代~4代の先祖から土台を受け継いでいますと書きました

自身の性質、人生に最も関与するご先祖様の事なんです

算命学で家系の干支をたどると「日・月・年」

(書類鑑定ではお伝えしていません)

しかし、何度も読めば気づいてきます

知恵など入りません、理解しようとする心が教えてくれます。

また、蔵干(人生に影響する干支)を遡って調べると

3代~4代の先祖と同じ干支になります

また、長年、人様のご相談をお受けしてきています

私は悩みの根を断つので、根ほりはほり聞きます

些細な事や重要点を吟味し、根を見つけます

これは古来よりある、神の意思を聞く審神者というものです。

ですから、本当に悩みを解決したいなら、いいとどりに話さず

全てお話くださいとお願いします

これには、もう1つ意味があり、すべてを他人に話す事で

50%はもう解決しています。

そこで励ましのお言葉をかけさせていただいたなら60%に上がります

しかし、残りの40%は人智では図り得ない何かが邪魔しています

それは神仏を敬ったり、先祖を大切にしたり教えれば残り30%です

その残りはもう、神の領域です

自らの気づき(神)が必要なんですね

しかし、私の所には残りに挑戦出来る、出来そう・・・な人しか来ません

私がそう望んでるからです。

残りの30%という、気づきという神の領域とは何でしょう?

 

逆に30%超えれない人

・自身の力、自身の存在を信用していない。

 この世の今、悩んでる自身としか観れてない人

・謙虚に話を受入れようと思ってない、また実行しない

※これが一番大事

・現実を考えてない

 また、自身を変えようとしない、挑戦心がない

 これをする事によって現実の私が自霊に奮起するように促す事が出来る!

あとは方程式の通りです

どんどん、現実の善なる思考、行動をする事によって自霊を変える!

あとは、自動です。現在のあなたの環境、思考も自動です

具体的な事例として、「えっそんな事まで?因縁になるの」

ある、夫婦がいました

本質的にあまり気が合いません

亭主といえば怒鳴り声、勝手で、でも仕事は真面目で

本来、優しく思いやりがある、頭もいい

お金には困りません

妻といえば、繊細な亭主に比べ、大雑把ですが頭がいい

大事な事を深く考えない、まるで楽しい事を優先する小学生の女の子の

ような気質でおませな女の子が言うような

ちゃんとしないと気がすまない

 

ある日、ささいな事でケンカありました

亭主は我慢できなかったのか、昭和の時代で言う

ちゃぶ台返し、エスカレートして怒鳴り声に食器を投げる

それを小さな娘が見ていました

そういう夫婦喧嘩はたまに、あるようです

仲がいい時は仲いいんですね・・・

やがて月日が立ち、子供は大人になり家庭を築き子を産みました

娘の

ある日の事です・・・

娘は亭主と喧嘩しました

エスカレートし、亭主から食器が飛びまくり、怒鳴り声を受けます

これは父の因縁(家系)と母の因縁(家系)を受けています

娘自身の因縁は小さい頃から見ていたという事です

父と母を見ることで縁が成立しました

一体、どんな因縁でしょう・・・?

それは夫婦喧嘩の気を受けていたのです

気質に染まったというか、入りこんだのですね

だから悪と言うものに対して見申、言申、聞申というのですね

お釈迦様も目で見たものは目で終わらせないと言ったのです

イエスは祝福で間違えた家に入ったならば、すぐ立ち去りなさい

と言ったのです

悪態、悪習慣は子に気が繋がれます

直接、子がその悪態、悪習慣を受け継いだり

配偶者と縁で見せられたり因は常に引き継がれ

自身が生まれた事でさらに引き継がれます

逆に善なるものは引き継がれます

子にどちらかの親の悪口は言うな、夫婦喧嘩は子に見せるなと

昔から言われます。夫婦はお互い足りないものを分かち合う為に

結ばれます。また男と女の縁は俗に言う、くされ縁なんですね

因とは「気」なんですね

悪い因を取り除くには現実(この世)世界の智慧と思う心と行動

変えてくれます

しかし、一度作った悪い因は消せません

はい、1,2,3数えて、ハイ消えました!何てバカな話はありませんから

注意が必要です。

因は必ず戻ってきます。体験、経験、見せられるかになります

しかし、人は誰でも過ちを犯すものです。聖人などいません

だから、懺悔の時が必要なのです

神仏に敬う心も大切なのです

家族や人を愛する事が大事なのです

世界を見てご覧なさい

ひねくれています

小さな怒りや恨みが大事を産むのです

ですから因、悩みを無くすには現実の智慧と思いと行動が

すごく大事なのです

それがなくて神頼みは見向きもされません

真剣なこん身な努力、善なる思いが自霊を動かせます

自霊が動けば、神も動きます

これを秩序といいます

宇宙は秩序で運行されています

天から地に天下りする智慧を人が秩序を勾玉するから

戦争はたえないのです

愛の為に、我々は助け合う

悪魔の言葉です

善なる神に人類が思考を傾けば

そもそも、愛の為に、我々は助け合うという言葉なんかいらない

平和で平安な世界です

暴力は暴力を呼び、非難は非難を呼び憎しみは憎しみを呼びます

本当の愛は言葉を超越しています

皆さまも何度かご経験あると思います

そして懺悔する事は良い心を的を得た思考を

贈ってくれます

陰徳を積みましょう

心がけるだけで、明るい喜びある日が来ます

 

※生きてるだけで因を作ります

 肉体を無くしたら因は引き継がれます

 誰に引き継がれるのかそれは転生後の自分なのです

 

こんな話もありました・・・

 

会社を経営されて、誰にでも優しく思いやりがあり

特に生活に困ってる人がいれば商売利を考えず

施しされてました

しかし、そんな人間がいいところを悪人が騙し

会社は窮地に追い込まれます

まだまだやりたいことがある

困ってる人に仕事や安心を与えたい

こんなんじゃ会社を運営するお金もなくなっていく

夢は終わりか・・・

 

神様、今まで神仏にお参りなんてしたことがないですが

毎日、生きる為に、誰かの為になろうと思って

一生懸命だったので、お赦しください

神様、今、こういう状況でどうしようか、会社をたたむか・・・

悩んでます

どうか、良い道をお授けください

 

後日、その人に過去に助けられて現在は成功しており

窮地を知り、援助したのです

会社は何とか切り抜ける事ができましたが完全ではありません

しかし、土台があれば何とかなると自分を信じて

頑張った結果

完全に立ち直りました

あの時の援助がなければ今はありませんと

神様に報告するのでした

 

これは、その人の積み上げた善徳を神様がお使いになられました

何よりも神様が感心持たれたのは

最初と最後のお参りでした

中間の自力に神様は感動されました

だから最後はめでたしになったのです

 

よくある話ですが

実際、そうなのです

現実で生きよ

責任を取れなんですね

 

そうやって助け人を連れてくるのは

神様の愛なんですね

 

神はすべてが愛ではありません

神様は真剣、努力、慈悲、自身を愛すが好きなのです

 

書いてる私でさえ

ガンバローとうなづいてしまいます。

 

 

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