神代文字の本質

姿形は変われど変わらないのが本質

人は誰でも何らかのお守りを持っています

持たない主義の人もいるでしょう

私も持たない主義なんです。天然石とか、数珠とか好きで

たくさん持ってますが、一度つけて楽しんだら邪魔になります

どうせ、1回しかつけないから買わなきゃいいのに・・・

好きなものは仕方がない・・・その繰り返し

身軽も好きなんです。旅行行く時も何も持っていきません

向こうで揃える派です

ですから、お守りは好きなんだけど(特に自分でつくったやつ)いらないんです

こんな事を書いたら、えっお守り作って販売してるのに?

となるかも、しれませんが、それはそれ、これはこれで

その本質が行き渡るように願いを込めたもので表現上なだけです

知り、理解すると形にこだわらなくなっていきます

でも、部屋になにか運気的みたいなのを飾ったり、貼ったり

物をお守り代わりに配置したりする心もお守りだと思います

しかし、それに固執しません

皆さんも飾ったり、置いたりしてると思いますが

忘れてる時もあるんじゃないでしょうか・・・

でも、忘れてる心さえもお守りなんですね

今日は、その心を書いてみます

その心があるから、神のメッセージなど必要としません

厳密に言うと、何か卑弥呼みたいに受け取るとか、伝えるとか

そういう人為的なものは一切、興味ありません

あなたに必要な神からのメッセージは神は「あなた自身」にしか

言わないと理解しているからです。

つまり、他人を介して本物の神はしないという事だと

私は理解しています

しかし、考える(学ぶ)という事を意識しないと

いつまでたっても物や先生やメッセンジャーに頼りお伺いを立ててしまいます

これを宗教といいますが、宗教は存在しないといけない部分もあると考えます

否定はできません。

それは、自分で物事の結論だせない人、意識に考えて学んで

検証、実践してみようと思い起こす考えが出来ない人もいるからです

これは批判してるのではありません

その意識さえ起こせない人もいるのです・・・。でも悪い事ではありません

その代わり、他の部分の何かの力が持たされています

人間、平等なんですね。だから宗教も大事な訳です

大事だから、現在でもある訳です

また、色んな事に興味を抱く人もいます。興味だけで終わる人も

一通り経験したい、する人もいれば、それだけで終わるひとや

所謂、知りたいだけ派

その中から何かを見出して、自分のスキルを発展させ何かに繋ぐ人も

一切、なんの変革もなく、1日のローテーションをこなす事が

普通だと思ってる人もいます

これは長年、色んな人と接して、相談受けたり、鑑定したりで

知り得た事で、ある意味、何でも在りが、この世なんですね

お守りにしても、神様のメッセージですよという人も必要だと理解しています

ですから、「何でも在り」という、その心を書いてみます。

書いてみますが、お守り等を欲しくなるのも人情です

最初、言った通り、わかってはいるんだけど欲しいんですね

誰かこの癖を治してください(笑)

 

始めに言があった
言は神と共にあった
言は神であった
この言は初め神であった
すべてのものはこれにとってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった
この言に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中に輝いている。
そして闇はこれに勝たなかった。

神代より、言ひつて、来らく、そらみつ、倭の国は
皇神の、厳しき(いつくしき)国言霊の
幸はふ国と、言ひつぎ、言ひつがひけり・・・
言は神なり
神は道なり
道は即ち神なり

国言霊の幸はふ国
愛と勇気の言葉で幸をたまわり
己の道を歩む
これすなわち
生きるも神なり

神の国は目でみるべきものではなく
語るべきものでもない
神の国はここにあり かしこにあり
それゆえに神の国は
われわれの心のうちにある
正しく考えるときは我々は神のなかにある
正しく生きるとき神は我々のなかにある

心が神を無くした時、神は万物に戻る

心が神を取り戻した時、神はあなたの心に宿る

なくしても神様が戻ってくれるように思いを込めたものが

私が作るお守りです。

でも、いつか・・・神はもうよいと仰せになられると思います

(近づいてます・・・そんな気がします)

ですから、私的にはお店とか再販とかという観念ではないのです

1つの受付みたいな神社なのです

田舎にポツンとある参殿しかない格式高い神社

始めに言があった
言は神と共にあった
言は神であった
この言は初め神であった

言は神なり
神は道なり
道は即ち神なり

われわれの心のうちにある

神様は、この世を作られる時

すべてを用意なされてあるのですね

ですから、私達が口から発する言葉や文字はすでに神なんです

この自然にある命も皆、神

神は道なり・・・起こる物事も神なんですね

そこに、今、メッセージが必要なのでしょうか

寝て夢見から朝目覚め、日を過ごす中で

移り行く、言葉や文字や物事すべてが神のメッセージなのです

神代文字にしても同じです

この世、空中には神の意思(気)がすでに充満してる訳です

これが神代文字の意味であり本質なのです

持ったら運が良くなるとか治療になるとか、いついつ時代の文字とか

その程度のレベルではありません。

その気を空中で捉え、形にしたのが神代阿比留縄(草=蛇)文字

他の文字は血族間で伝達しあう記号です。

呪術的に使用した、人に教えてはいけないシンボルでもあります。

道路標識、地図記号と解釈してください

だから正しい言葉、正しい文字を書きなさいと

云われ始まったのです

その言葉、文字は時代と共に変わっていきます

ただ、神代文字は人間の汚れた想念がない神代の時代ですから

新鮮味があるのかもしれません。

 

すでに神が世界を作る時、種は蒔かれてある訳ですから

自身の心と行動で夢、願いや目標が実現する訳でもあります。

あっ気功もヨガもラジオ体操も同じです。動か静の違いだけです。

いかに人は小難しい理屈に惑わされています

これを神は「外国=そとくにの教えに惑わされるな」と注意があります

 

※血族間

姓は姫、氏は魏、祖は周、太祖は神農

これについて卑弥呼の逸話があります

漢ではない

聞きたい?

また今度

 

 

 

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