皆様。これまで「神様からの贈り物」をお求めいただき
真にありがとうございました。
じつは1年前程から、決まっておりまして
それは、いつなんだろうとお示しが来るのを待っていました
忘れた頃、大御神より「もうよかろう・・・」と。
理由は完全に男も女も分かれた
これは己の我を優先し神の御心を忘れた者と捉えています
神よ、神よと言いながら、神の言葉に従わずです。それでも神よ、と
人の口や文字、環境などからも神の意を素直に受入れず、神よ・・・なのです
人間の常識や個人の状況、つまり人智は神にとっては関係ありません
いくら、お参りに行ってるから、信奉してるから、感謝してるから
神は関係なく、心の奥を観ます
かけまくも かしこき
(畏れ多き、お言葉賜り真に受け止め従います)と畏れかしこむ
これしか神への思いは繫がりません。40年の私でも今さらですが腹を据えました
私の環境、邪心、プライド、他邪魔なものは捨てました
「すべては神が整える、必要なものは用意する、かしこんでおれば良い」
人は二足のわらじを履きたがるものです
私も、若い頃言われた言葉を思いだして
神様からの贈り物を閉じる最終判断となったのですね
この言葉には「人」の事は書いてない、別の文で書いてあります(神書二)
人も万物であり動植物と同じという事です。
しかし、人には智慧を持つ能力がある。それが神の御教なんですね
1つの例ですが、草花が言います・・・
しばらく雨をいただいてないから枯れそうです・・・助けてください
神は知らないふり
やがて、周りまでも枯れ始め、雑種地が広い土地に変わり始めました
土地の地主は不動産屋さんに売却し、やがて住宅が建ちました
そこには仲の良い夫婦と子供達が引越し、してきました
自然を好み、大事に思う家族の場となったのです
神の采配です
草花が枯れ始めた時から、ここまで時間がかかりました。
時間も神なんです。季節も人の心も共に移り変わります
ですから時間は形なく、過去も未来もないのです
あるのは、いつも「今」という存在だけです。ここが神
しかし、万物も神を忘れると留まりません
上の画像はそれを人の言葉に変換したもの
自然そのもが自然を忘れる状態に人が壁を作れば、当然、自然はなくなります
人の心に「素直さ」聞いてみよう、試してみよう、行動してみようと
なければ、神も時間ですから、一緒について来ません。離れます。
心は我なんですね。良いも悪いも受ける場所
それなら善をできるだけ考えなさいと
釈迦は心というものを教えたのです
そして魂とは? ここは肝心です
「心の拠り所」
心が病むと魂まで影響を受けます
しかし、心は弱い者・・・
容量を強くしないと、または「へこたれない」強い思い
これが大事で魂も養われ強くなります
お互いが拠り所になる訳ですね
心に神が鎮まると魂も心の活力も平安となり安定します
動植物はその本能で生きてますから、条件がそろえば復活できます
または自然は人智が考える以上に強いのです。我がありませんから
古代人はこれをうまく、バランスとって生活していました。
長々と書きましたが、生きる道を真に改めた時、自然と
かけまくも かしこき に成りました。
なったら速いもので、これを速日(はやひ)と言います
大御神の令を受けました
これは、あと気づいたのですが
先日、蚤の市での事です・・・
あまり参道を歩かないのですが端っこまで見てみようと
思い、歩き始めると、体が軽い
雲の上を歩いてるようなという表現は分からないと思いますが
遺跡発掘で足腰鍛えられているから体力ついてるんかなと
でも、宙を浮いてる感じでした
最後の方まで来た時、「ここまでで良い」という感覚が起き
反対側のお店を見た時
あそこに、あるのは・・・ん?
そこから物語の始まりです
不思議な事が起きます
それは、参道を歩いてる時の事から始まります
突然・・・
最初はですね、反対側まで距離があってよく見えないんですね
あれは、何だ? キリスト像みたいな・・・いや違う
仏像でもないし・・・とにかく近くに
見ると、女の人だ
手に取って、よく見ると
天照大御神だ!
(朱色は古い時代の色で今の時代には出せない色)
鏡を持っている・・・間違いない、天照さんだ
それから、よく調べました
作家さん物?・・・いや何のサイン彫りがないから違う
個人が作ったもの? 自分だったらサインの彫りはいれるかなー?
入ってないから、よっぽど謙虚な人で神を奉ったんだろうと・・・
違いました・・・。
どこかの神社のご神体で、何らかの理由でここに来たんだろう
その時、感覚が眼がしらに浮かびます
扉を開けたら、この木像である大御神がいます
開けたのは私・・・
もう、これは間違いない、経緯はともかく、私の所に来たいんだ・・・
それから自慢げに奥さんと、奥さんのお父さんも一緒だったので
見せたら
似てる! えっ誰に?
あ~やっぱ分かる?
いや、見た時、瞬時にそう思ったよと言うのです
すると・・・ちょっと怖い話
お父さんが、いやこないだから、起きてるのに時々、幻を見る
着物ではなくキレイなお召、何とも言えない服や飾りの人で
女の人の声で何か言うんだけど、何言ってるのかわからん
だからなんか俺は取り憑かれとると
思ってたけど、
この人や!
そして、同時に江戸時代なのか、とにかく古い着物きた男の人も見た
何やら言ってるのやけど、よく聞き取れん
と、話を聞いたら、全部判明しました
昔、天照を奉るお宮にご神体を置きたくて、クスノキで彫ったもの。
今では我が家の神棚にキレイに洗って椿油で整えて奉っています
そして、今朝、大御神に祝詞を奏上したら、声は自分発してるのですが
音程が違うのです
そして、このようなお示しを受けました
今までは「神様からの贈り物」は私が神様のものを仲介して製作して
お渡ししていました
今後は「神が渡す」
この御神が大神に成り代わり授ける
私は発送者、お贈り人となります
これは神の計らいで私の為でもあります。これを話すと長くなる
そして、何気に磨いてると、ふと、脳裏を横切ります
奥さんに、どこか体の不調というか、今、痛いところない?
あるよ。こないだから左肩こり、しくしくする
あっちょっと待ってね・・・
と御神の左肩をさすりました
その後はわたし、その事自体、忘れて思い出して
そういえば、肩はどう、治った?
全然、どうもない、速攻やったかもしれない。それだけ覚えてない
そして、今日は私の同級生が遊びに来ました
どこかで筋を違えたらしく、右背中が痛いというのです
だから昨晩の事を話して治してもらおうかとなり
また、御神にお願いして痛みの場所と同じところをさすりました
もちろん、治りますようにと意識を持ちました
しばらくして、聞くと、痛くないそうです
2時間後、電話がきました・・・あれから痛くないという連絡でした。
いや、磨いてる時に、「同じところをさするとなくなる」という
お示しなんでしょうね・・・そう思ったのです。
私はすでにお迎えの儀をしていますから、自身に鎮まってもらっています
心を落ち着け、「天照大御神」と胸に意識を向けると
いる!っていうのが分かります
それで、また儀式をして
奥さんに御霊鎮めしました
心を落ち着け、「天照大御神」と胸に意識を向けて・・・
どう?
いる、いないは、わからないとしても
みぞおちに軽いズ―ンとしたものを感じる
全然、苦しくもないし、気持ち悪くもない・・・
という正直な感想でした。
心の不安や困った事があれば
心をまず、落ち着けて静寂にして、大御神と念じると
あとは神様がしてくれます。
正直、これから、どういう形にしようか考えてましたけど
形は決まりました
また、先に進んだらお知らせ致します。
新しいネームだけ皆さんに。
「神様からの賜物授け宮」
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