未知の世界のお話

神様の中で小司命、大司命という神がいます

少なからず日本は老子以前から道教の影響を受けています

それで、小司命、大司命は人間の生命や運勢を司る

日本では八百萬の神々の事で天神様として祀られています

ですから勝手に命を取ったという事でお怒りは道真公ではなく天神様なんですね

そう理解しています

ちなみに小司命は私たちの産土神で大司命は日本の神様七十二神の事

1年に一度、それぞれの小司命は人間の行い、言動、心を記録した報告がなされる

その場所は神無月に神々が集う出雲で天照大神に報告されます

そして少名彦大神が内覧されて査定を決定されます。何かおもしろいですね・・・

毎年、11月9日から1年間の、その人の運命、運気、ご縁や寿命、その他もろもろが

決まるということですね。産土神が出雲に行くときは人間は送り火焚いて

良い報告を願います、お帰りの際は迎え火で御礼を申し上げます

ですから、日ごろの行いすべてが神であり言葉も神であり

何もかもが神なのです。日本はすごいですね

そして人間の身と口と動き(行動)を優しく平等に戒めてくれるのが仏様

仏さまは神の性情でもあります。そう理解しています

神も仏であり、仏も神であり

神は中津原に三人の賢い人を遣わした後、自ら万物に霊化されたそうです

仏法に不殺生とあります、すべての命には役割があり平等

やむなく、その線を越えれば、お祓い、供養でどちらも同じ根本だと思います

しかし、荒れた狂った世界の現況は自身の身の回りにおいても

わが身根性の多さをよく目にします

目にするという事は自身にもそういう縁=心を少なからず持っているという事ですね

身を引き締め、心は神に好かれるよう穏やかに過ごすのが一番の極意だと心得ます

そんな中で私はといいますと

なんか忙しい、鶏のように、あっち行ったり、こっち行ったり

修行の一環でお寺の作務をしています

毎朝七時に本堂で師匠のお経を聞いた後、作務が始まります

これ、やった人しか分からないと思います

終わった後に不思議がやってきます

作務だけでなく、発掘作業や未来の寺作りの一環で外回りの整備に自宅の整備

もう夕飯はいらないという位、疲れます

でも作務終えた後は不思議、毎回そう思いながら帰路につきます

肉体はキツイのですが中から体全体ににじみでてくる軽さ

これがたまりません。そして喜びがどこからか、未知の世界からやってきて

包まれます。

毎回、色んな事を思いながら作務を始めるのですが

先祖の御霊へのお礼、あの人、この人への感謝

いま、こうやって健康でいられる事の感謝、今日はこういう事で始めようと・・・

帰りは仏様からのお返しなのか喜びです。

明日から彼岸1週間は仏道修行期間です

誰でも、人生なんでも修行だと思います

これも修行かぁと思えば、あきらめもしたりしながら成長できます

狂った世の中、人に惑わされたりはしません。

 

              ガッショウ!

 

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