神様に最も好かれる方法

古今東西、たくさん、その説きがされてます

神様に好かれる方法は理屈でも理論でもありません

さらに神仏の事や歴史を学ぶ事でもありません

気づきをたくさん知ってないと言う事でもない

ヒーラー達のビジネス手法で表面だけの愛を持ってくる、言葉作りでもありません

何か資格や人々から共感を得る事でもありません

神仏への作法や秘教を知ってないとダメだという事もありません

じゃ、何、愛?

愛を持ってくる、言葉を出す時点でまだまだです。シンプルに1つの答えです

まずは、愛というものに少し触れてから、ご説明致します

メンバーの皆様いつもありがとうございます。どうぞ続きをご覧くださいませ

愛というものは過去記事でも書いてますが様々です

先祖、親子、夫婦、兄弟愛、他人愛

動物愛、物事愛、死ぬのも愛、それぞれ違いますね。これはお分かりになると思います

それらの、様々な愛は親が子に伝えます

そして日本人特有の情愛となっていきます

つまり愛が分かる人になるのですね

大事な事は、この情愛を知らない、分からない人は心が弱い人です

これも親の教え、教えがなくとも人は自力で得るようになっています

そこが宿命でもあり、運勢でもある訳です。

心が弱い人は

魂が弱いのではなく心という器が我を優先し愛を受入れできない為です

人はたくさんの億兆の命で一人の生体として生かされています

その生体を生かす生命たちは本体の心の条件下でも

生き残る為に肉体内で活動しなおします

すると、最終的に残された心は病むばかりです

全生命体が条件下に下らない命も芽生えます

それが人の自然治癒力なのですね

自身を応援、協力、助ける命の数です

その数を増やせば神通自在となります

では、どうやって自在となるのか?

私は大変わがままです(笑)好きな事しかしない、嫌いな事はしない

たとえ生活苦になってもリーマンは嫌いです、食えればいいという考えです

また神を利益のように、困った時だけ手を合わせ拝む人も嫌いです

そして神を都合のように心に留める人はもっと嫌いです

今、これ神様の本音を書いています。誰も知らない心内です

 

 

それが続くと神はそっぽを向きます

自身からいなくなります。ですから自身を律するという事が大事になってきます

親から教えてもらった事、自力で社会で得た事

それは「情愛」は忘れません

情愛は慈愛、慈悲と似ています。同義といってもおかしくありません

努力を重ね自分にできる範囲で他人に利を与える

努力を重ね自分にできる範囲で他人の不利益を除いてあげる

これを「慈悲」といいますが、仏の顔も三度までと言うように

我ばかりで情愛を学ぶ事ができない人は神との縁は切れます。

神様が好きなのは自身の利益が不足しても他人にその分まで与える人です

ですから神様に最も好かれる方法は

「私は神様が好き」これだけでいいのです

歴史や資格や作法や人からの喝采や何もいりません

それらは学習です

神が求める学習は「気持ち=心」の積み重ね

好きな人の為なら何でも、その人が気に入るように

頭を働かせます

神も同じです

しかし、そこに打算があるといけません

自分自身を大事にし、最も安心する心でいる事が

神も安心して体内に宿ります。

また、好きな人への想いはどこであろうが

トイレだろうが、仕事中であろうが食事中であろうが忘れません

自身の一途さを神は見抜いています

人は情報やあの人が言ってる等に翻弄されやすい

影響を受けやすい・・・

だから一度、こういう事を書いた次第です

そしてもっとも重要な事は

人は生まれも死も、愛はすでに持っています

ただ、下界の外側を意識し過ぎる為、生まれて3才もしくは7才で

忘れかかり、大人になっていくともっと忘れます

これも一度ブログに書きましたが

3才で魂が本格手に腰をおろし

5才で心霊、体霊が整い

7才で人となります。だから七五三は大事なんですね。

ですから

「私は神様が好き」

神様が喜ぶだろう、嬉しがるだろうと考えたら

何かしたくなるし、かと言って神様は観えないし

それじゃ人を神様と思って大切にすればいいのではないかと

30年後に気づいた訳なんですね・・・

それは正解でした。

しかしお釈迦様は気違い、気狂いは除外しました

自らのカルマにまかせました。イエスもそうしました。

「神様が好き」という人を増やした方が効率がいいのです。

ですから、気づきは自身の為で、学びは知識ですから

神様自身は二人だけの関係になります

その部分がすでに「愛」なのです。

 

 

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