師匠は言われます。修行はたしかにキツイ、苦しい
しかし、それは必ず現実界に反映し、自然と人生に道が出来る。
信心怠らずいけば智慧がつき、結果、安心となる。
昨日夜、山の中から帰ってきました
その行での気づきを皆様と共有致します。 気づきそうで、なかなか気づかない智慧です
修行を始めるまでに作務もそうですが時間というものが
要になってきます。その辺りからお話してみます。
やる気を起こせば時間が生まれます
時間は作らないと自分には来ない、いついつ休みだからというのは 昔から好みではない、
神仏を求める時、曜日・時間は相手が師匠や先生の場合
仮に明日来なさいと言われたら行く。これは基本。
若い時そう教えられてました
なぜ、基本なのか、神仏に両天秤はいけないと理解してるからです。
いや、明日は仕事だから、用事があるから・・・
ここに、ただの信徒・修行者との違いがあります。
その経験は今に役立っています。
教えの、飲み込みは我ながら早いと思います
いやぁ~キツかったです!土日は朝早くから、夕方遅くまで山修行でした
1日目は彼岸法要後に寺の裏山の祠やお堂を巡り経文行と念仏行
山を歩く時は1列に歩き 先導者が「懴悔=さんげ」さぁ~んげ、さぁ~んげと言霊を発します
後ろで歩く人は「六根清浄=ろっこんしょうじょう」と大きな声でついていきます
平地歩いたり、山ですから」傾斜を登ったりする時も唱えます
これは魔除けと皆、着いてきてるか、それと頑張ろうの意味があります
念仏行では頭を床につけ「南無阿弥陀仏」と腹に力を入れ、悲鳴以上の大きな声で唱えます
後半では何て言ってるか分かりません。ある意味でのトランス状態
鼻水、涙で顔はグシャグシャ
終わった瞬間、晴れ晴れなんですね・・・魂の溝のゴミがとれたそうです
しかし、溝ですからキレイにしても、またゴミがたまる。兄弟子が言ってました
お堂の中は皆の魔だらけ、出てきた魔は阿弥陀如来が救ってくださったと・・・
そして2日目、1年に一回しかない修行でした
それは、寺本堂を出発して目的地の山の頂上まで山の中、約40Kmの道のりです
その道は最初のスタートからでした・・・(これは・・キツイぞぉ・・大丈夫か?)
なんて思いながらでした 深い山の中を登山道ではありません。
獣道でもありません 獣道はあぜ道となってますが、道じゃないのです。
草や木をかき分けたり 大木がゴロゴロして、よじ登って先に進んだり
もぉーキツイ!(*´Д`)言いながら、遅れをとらないよう我慢して登ったり下りたり
下りは特にきつくて、時折すべり台してました
もう究極に駄目だと思った時、あと10分進んだら休憩という師匠の声がします
別名、空海行です 。空海に阿弥陀さん? と思う方もいるでしょう
空海はこの行から始まったのです(また機会ある時にでもお話します)
休憩中、師匠がこれまでの道のりはウォーミングアップだそうです
それ、聞いて頭の中は真っ暗(笑)になりました
後半はもうきつくて、きつくて
先に進む意思はあるのだけれども、足が動かない・・・
もう、やっぱり駄目だと思った時、上から師匠のほら貝と南無阿弥陀仏とおおきな声が
皆、南無阿弥陀仏と唱えながらよじ登って行きます
時には足が動かず、腕を足の代わりに登ったりで、もう泣きそうでした
また言われます、このキツさ、苦しさは、各々の「業=因縁」である
よじ登れ、つらぬけ、やり遂げろ!念仏の声が出るうちは死にゃせん!
一人でも脱落すれば、ケチがついて成就しなかったら申し訳ない
皆、そういう思いです
実はこの行、1つだけ願いが叶うそうです・・だから頑張ったんですね^^
そして、これはー? え~こんなところ登の? うあぁ~です
途中、左側は崖でした。前の方で山側を歩かんと落ちるぞぉーと・・・
歩く道はすべて道じゃないのです、歩く幅を金剛杖で確認しながら登ります
大きな岩に着きました。仏さんが彫られてます
それが終わったかなと思ったら来た道を下るんですね、そんなのを繰り返しです
途中、せっかく登った道を違うルートで下りて滝行です
ふんどし姿で滝に打たれます、水は非常に冷たい
冷たいのですがキツイのが先での念仏行
終わったら来た道をまた、登る。もう、また泣きそうです
9合目に着きました・・・もう足が・・・いう事聞かない、でも登らなきゃ
そんな時です・・・
聞いたのです、どこからか
「苦しい時は苦しさをキツイ時にはキツさを受け止めろ」
一瞬で悟りました
人は苦しい時は回避を願うもの・・・苦しさの先には真の仏に出会う
必ず先は安堵と幸せが待っている
そう、だから受け止めました
でも、もう無理。足が動きません
くそぉーと思いながら、張り裂けるような大きな声で南無阿弥陀仏と・・・
自分の意志ではない意思みたいなのが声を出したのです
足が1歩動きました
もう、泣きそうです
その繰り返し、張って行ったり、起き上がって1歩1歩進んだりで
やっと頂上に着き、着いたぞ!という達成感以上の
何ともいえない無心の自分がいました。
帰りは私が最年長で師匠から車部隊で寺に戻りなさいと言われました
最後、帰りも徒歩で戻って来た方達を待ち
反省会なんでしょうか、楽しく雑談してる時に
師匠すいません、帰りに参加できなくて・・・と申した時
うんうん、足が動かんやったのやろ、それでも頂上まで来たという事が
一番重いから、よかよか
それに帰りも参加しとったら、途中で死んでたよと笑いながら
でも、上等とおっしゃっていただきました
そして、車での帰り道、道は分かってるんだけど
どこ走ってるのか?
1回止まって、ここどこだろう?考えてました
1日、苛酷に山の中いたから頭が麻痺してました(笑)
そして風呂に入った時
幸せぇ~と真に思ったのです
自分との修行の日でした
苦しいことも正面から受け止めたら智慧が沸きます
そのあとは、自分が強くなります
これを皆さんに共有できればと思いながら眠りについて
今日1日、あっちこっち湿布張って休んでました^^
おはようございます^^修行、行。。お疲れ様でした。
想像を超える苦しさがあったと思いますが、私も
現実に起きている苦しいことから逃げてはいけないなと文面を読んで改めて思います。
精神の充実は何も何も変えられないですね。
ひとまず、御身体を労ってくださいませ^^