奉仕と満足

皆さま、こんにちは。

毎朝夕、夜とガッツリ、ひたすら自経修行の毎日です

1日、2~3時間、朝はまず、神様にご挨拶にはじまって仏行に入ります。

先日、お寺で作務修行させていただきました。その日の修行は草むしり

仏様のお堂回りをきれいに供養する為、お寺にいらっしゃる檀信徒さんの為でしたが

行が進んでいく内に、段々と無になり、ただひたすらしてると

仏様にキレイになってもらおうに気持ちが変わっていき、また段々と無になってきました

後半はなんも思考なく、行が終わった訳なんですが

良かったぁ~、キレイになったーと喜んだ瞬間に「ありがとうございました」という

気持ちがこみ上げ、不思議な感覚をいただいた気がしました。

道具を片付けながら思ったのです・・・自宅でも同じような作業してるのに

家では、キレイになっただけという「達成感」

お寺では奉仕、家では達成感的なもの、この違いは何だろうと

考えておりましたら、

作務の中で毎回、気づきがある、それを自分の中の学びとしなさい。

と以前、師匠より教えられていた事を思い出しました。

掃除道具を車に積み終えた時、それにしても、違いは何だろう・・・

その時、どこからともなく声なのか気づきなのか仏様からいただいたようです。

「奉仕に満足があったら奉仕にはならない」

させていただくという感謝の気持ちが大事、だから、ありがたい。

この気持ちが心に戻ってきた!フィードバックでした

それは言葉にはあらわされません。

満足は「欲」だとはっきり理解した瞬間です。煩悩が1つ消えました。

それから数日後、奉仕の理解を実践する機会が訪れました

それは、先月、友達からとある相談を受けており

ある土地があり所有者は、すでに亡くなっている、

家はまだ残っている

その家族を探したいけど、手立てがない、どうしたらいいだろうか?

という、相談受けてましたので、もう、それは亡くなった方の家に行って近所の人に

ひたすら、聞いて回る、足で稼ぐしかないよと。

私の家の近くだから、一緒に行って一人で聞いて回るより二人が効率いいやろと

手伝うよと言っておきながら、私も行とバイトの日々で、日にちが合わず2週間

それが、今日、所有者の家近辺を聞き込み行こうと思うんやけど・・・と

おーお、一緒に行こうか、いいよとなり、不思議なご縁のきっかけが起こります

ちょうど土地神様の神社があったので、まずは神様にご挨拶申し上げてから探そうと

なりまして、友達の仕事が進みますよう、どうか、ご家族の方とのご縁を賜りたいと

お願いしました。あっちこっち聞いて回るけど玄関チャイムならしても出てこん!

何気に、真裏の家に回って、庭に車がいっぱい止まっていて、小屋に洗濯物も干してるから

絶対、ここ人おるよ、チャイム押してみようと、玄関に行ったところ

なんと「忌中」の張り紙が・・・友達がさすがにマズイやろ

いや、いいよー、丁寧に挨拶して尋ねたら問題ないと思うよとなり

そこでやっと、ご近所さんのお話を聞けたのですが、成果は得られず

仕方なく、役場に行って駄目元で、事情話して、人探しの智慧のアドバイスを

してくれるかもしれんから、ありのままの状態を素直に話せば

何とか応じてくれるんやない?と役場にいきました

守秘義務があるから無理とは分かってたけど、これが不思議で何とかなる

そんな気がしたのです。でも、成果は得られずか?と・・・

椅子にすわってどうする?もう一回、さっき尋ねた家に戻って名刺だけでも

渡しておいたら、土地所有者の家はまだ、残っとるんやけん・・・という話してたら

前の窓口で「火葬申請」という声が?

んゅ? えっ? さっき尋ねた家の人、間違いない

と思い、声をかけたのです、親戚か兄弟か分かりませんが二人

そこで、深く話ができたのです。まったくの偶然でした

そしたら、もう一人の方が家族の事、よー知っとるよと

もし、ご家族の方と連絡が取れたらと友達が名刺を差し出します

すると、連絡するの面倒やけん、電話番号知っとるけん

教えるから、直接聞いたらいいよと・・・問題ないから大丈夫と。

大成果!です。

仏縁と神縁が同時に来ました。じつは所有者の家付近は

こないだ2回もやむなく迂回で通った道で友達と待ち合わせた時、縁を感じたところです

神社が多すぎるとい位の集落です。一度、神社調査の趣味がワクワクしました^^

私は出家してるので、親兄弟、俗世の人とはお付き合いできません。それは在家だろうと

お寺住み込みだろうと戒律は同じです。

俗世の私は三途の川を渡って、新しい仏の子として肉体持って

生きてるのが戒律です。肉体が持続するだけのお金は得ていいが許される範囲です。

つまり、会える人は私の教え(助言)を守れる人

私は社会と人付き合いを捨てた身

俗世の考えを提供する方、束縛する人はいくら家族だろうが会えません

この戒律が、家族のしがらみを切るのが

一番キビシイところです。私も師匠の教えには絶対です。

仏の弟子である私に絶対でない人とは会いません。

しかし、お互い生きていく身、無理強いはしません。

師匠も同じように私を指導していらっしゃると思います

それと満足でなく、真心で会いたいと思う人だけです。

もし、何らか満足があれば、私にお布施しないといけません

なぜなら、満足という、その人の業を受けるからです。

お布施と自経で消さねばなりません

でも、友達は違いました・・・毎月、必ず我家の神様にお礼かかせません4年になります。

そして今回は、一緒にきて欲しいと欲もなく願ったから

私も付き合うよ、一緒に探そうとなったのです

土地神様へも、私お参りさせていただく感謝です。

ただ、心の支えみたいなのでしょうか、友達は純粋に自分を求めてる行為

私自身も感謝してるところがあるので、神様にそのまま思うまま願ったのです

仏様の奉仕の実践と神様への真心が通じた瞬間でした。

道理があれば、神仏は即刻、聞いて下さると改めて確信した瞬間です。

もし、あの時、役場に行かなかったら、あきらめて帰っていたら

ご縁はいただけませんでした・・・不思議な慈悲をいただいた瞬間でした。

帰りは、私が好きな台湾焼き飯ごちそうしてくれました

本人なりのお布施です。

でもねー・・・戒律とはいっても感情は残ってますから

このストレス解消するのも、大変なんです

ですから、Tiktokにまた、最近アップしたりして

どこかの誰かが嬉しくなればという思いで

せっせと動画作りしたり、全然わからないけどオペラ聞いたら

スッキリします。そして日々の行が出来ます

オペラ聞いてるから、時々、お経のリズムが狂うですねー

そして、おっ!オペラ風お経もおもしろいやんなんて

仏壇前で一人で笑ってます。

ただ、自分の感情に少し満足を求めてるんだろうか

疑問視もあります

煩悩は消えてないのか!

こういう感じの日々でした

皆さま、寒くなっていきます。体調を崩されませんように元気行進!

 

 

 

 

 

 

 

 

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